2006年08月26日

不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる

先日、暇だったので携帯カメラで撮った写真を何となく見返していた。
 で、新しい写真からどんどん時間軸をさかのぼっていって、日本を出発してバンクーバーに到着した次の日にはじめてダウンタウンに行って、ここがバンクーバーかと最初にカメラを向けたペンダーストリートかどこかの写真にたどり着いたときに、「あ、今私は日本じゃなくてカナダにいるんだな。なぜこんなところにいるんだろう。」と漠然と考えてしまった。
 何か毎日の生活がとても自然で違和感のないもので、自分のブログとかを読み返してみても、日が経つにつれてだんだん文章が偉そうになっていってて、他人から見たら「こいつ調子に乗ってんな」と間違いなく思われる状態だろうなと思った。
 調子に乗っているといっても、やることすべてが順調で、自分の思い通りにことが運んで、やりたい放題で向かうところ敵なし、といった状態ではもちろんなく、当然悩みなんて一人では抱えきれないほどたくさんあるし、考えないといけないこともたくさん先延ばしになっているし、英語はなかなか伸びてこないし、要は全く調子になんて乗れてないんだけど、そういえば最近大きな失敗ってしてないなと思った。
 「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」という話を思い出して、近い将来突然大きくコケるのかもしれないな、と考えたら少し怖くなった。
 子供の頃から周りの大人たちによく言われていたことは「調子に乗るな」だった。
 どうして調子に乗ってはいけないのかよくわからなかったし、今も多分よくわかっていない。
 「調子に乗るな」は「最近の若いもんは。。。」みたいな老人の愚痴の一種で、調子に乗れるようならじゃんじゃん乗ってしまえばいいじゃないかと思う。
 調子のいい人を見て、こいつ調子に乗りやがってとか思う古い価値観の人もだんだん減っていくだろうし。
 調子のいい人を見つけたら、どんどん調子に乗らせて自分もついていった方が楽しいんじゃないかと思う。


 共同キッチンで誰かがギターを弾いていて、「その曲イイね、誰の曲?」と聞いたら「オレの作った曲」とか言われて、こういうのはいいなと思った。
 日本にいた頃は、誰かがギターを弾いてても良い曲なんか一度も出会ったことがないけど、カナダだとたまに、ああいいなと思う曲を弾いてる人がいる。
 日が暮れてきた頃に、バンクーバーのダウンタウンのグランビルストリートでたまにジミヘンとかピンクフロイド弾いてる人がいたけど(Hey JoeとかWish You Were Hereとか)、そういうのもいい。
 多分もういないけど、バラードステーションでバイオリンを弾いていたおじさんも哀愁が漂っててよかった。
 やっぱりおじさんがやる音楽は良い。
 ロックバンドなんかも10年、20年と続けてるバンドは続ければ続けるほどだんだん良くなっていく。
 流行り廃りの業界で生き残っているバンドはそれだけの何かを持っている。
 40年以上続けているローリングストーンズなんかは本当にすごい。

 で、今自分がずっと続けていることって何だろうと考えてみた。
 
 。。。何も思い浮かばない。

 話が終わってしまった。

 
 昨日の仕事では、ちょっと考えてしまうことがあった(こういう書き出しだとどうして書くほうも読むほうも少し気が引き締まってしまうのだろう)。

 昨夜のシフトはErynというウィスラー出身のカナディアンと、韓国出身の同じEBC組のJuhn-hoと私の3人だったわけです。
 で、夜のシフトは途中で誰か一人が社員食堂の掃除担当でキッチンを離れるわけですが、その担当がJuhn-hoだった。
 だいたい社員食堂の掃除というのは2時間くらいで終わって、またキッチンに戻ってくる、というのが通常なのですが、Juhn-hoは4時間くらいかかってしまった。
 もちろん彼がいない時間はErynと私の2人でキッチンのすべてのことをやらなければいけないわけです。
 Erynと私は「なかなか戻ってこないね」などと話してたわけですが、あまりに遅いのでErynが完全にキレてしまいました。
 「あいつは英語も喋れないし、仕事も遅いしどうなってるんだ」みたいなことになるわけです。
 そのうちに深夜シフトの人たちもやってきてJuhn-hoの悪口大会が始まってしまいました。
 「そういえばこの前あいつと一緒のシフトになったけど、全然コミュニケーションが取れなくてホントにイライラした」とか、「あいつに仕事を頼むとホントに時間がかかってしょうがない」とか、「言葉が通じないから実は一緒のシフトがつらい」とか、そういう類のやつです。
 そういうのを私は「なるほどね」と横で聞いていたわけです。
 そのうちに「そういえばAlex(同じEBC組のロシア人)も英語わかってないよな」みたいな話になって、まずいこの流れだと次は私が叩かれる、と思っていたら、見事に予想があたって、「そういえばお前も。。。」みたいなことになった。
 そのときErynが、「いや、こいつは多分比較的英語理解してるほうだ、それに昨日も社員食堂の掃除を頼んだときに1時間半くらいで終わらせて戻ってきた。あれはグレートジョブだ」みたいなことを言ってくれて、何とか叩かれずにすんだわけです。
 そしてしばらくしてJuhn-hoがやっと戻ってきて、言うまでもなくErynとしばらく口論になっていた。
 
 こんなことがあって、改めて、そういえば英語が喋れないのにこのホテルで他の人たちと同じ給料で雇われてるのはすごいことなんだなと思った。
 こんな迷惑な存在はないなと思った。
 何言われても文句なんか言えない存在だ。
 
 英語は急には伸ばせないけど、仕事だけは絶対に他の誰よりも速く一生懸命働いてやろうと改めて決心した(いままでもそれは心がけてたけど)。
 言葉以外では負けてたまるか、と思った。
 英語のできない私にできることはそれくらいしかない。
 英語に関しても、いつまでも「喋れなくて当たり前、だって今はまだ勉強中なんだから」みたいな考え方も捨てようと決心した。
 喋れて当たり前、という厳しい世界にいることを改めて感じた。
 
 いままで私が心がけてきたことは、「愛想だけは絶対によくしておこう(元営業マンなのでちょっと自信あり)」とか、「元気よく挨拶しよう」とか、とにかく何言われても言葉の最後に「ありがとう」をつけて返そうとか、何か頼まれたらすぐ動こうとか、よくわからなかったら笑って愛嬌をふりまいておこうとか(これ結構大事らしい)、その程度ですが、そういう付け焼刃的なものでやっていけるのは時間の問題だなと危機感を感じてしまった。
 
 人間関係というのはポジショニングが大事で、何かの組織に属した場合、自分がその組織のどの位置にいるか、というのは敏感に意識していなければいけない。

 昔、TMネットワークが売れる前の小室哲哉のインタビューで、「ヒット曲を作るには何が一番大事だと思いますか?」と聞かれて、とにかくいい曲をつくる、とかいかにもミュージシャンが言うようなことを言うのかなと思ったら一言、「自分の所属するレコード会社で自分のバンドがどの位置にいるか。どんなにいい曲を作っても売れなかったら意味がないし、売るためにはたくさんの人に知ってもらわなければいけないし、知ってもらうためには会社全体の宣伝費における自分たちのパーセンテージを上げていかなければいけない」みたいなことを言っていたのが思い出される。
 
 力関係はどうだとか、誰と誰がどういう関係で、どの程度仲が良いかとか、誰と誰が仲が悪いとか、例えばそういうことを早く理解して、自分のポジションを築いていかなければいけない。
 今のところ私はそんなに悪い位置ではない(多分)。
 かなり恵まれた位置にいると自分で思う。
 いろんな人が「Hey,Dai!」と声をかけてくれる(実際この人誰だろうという人がたくさん声をかけてくれる)。
 でも、仕事ができて当たり前、英語も喋れて当たり前、それが前提であとどんなウリがある、というところに早くいかないと、今まで良くしてくれていた人たちが、徐々に離れていってしまうような感覚が脳裏に走った。
 今はまだいろんな人が助けてくれるけど、そのうち「いい加減にしろ」と思われる日が来るんだな、と確信した。

 全く面白くもないのに、テンションだけがやたら高いお笑い芸人のように、すぐに飽きられて捨てられる(テンションという言葉自体私は嫌いだし、テンションがどうのとか言っている芸人は多分才能がないと思う)。
 そういう芸人がTVに出続けることに我々が不快を感じるように、私の存在に対して周りの人々がだんだん不快を感じるようになるのは明らかだ。

 とにかく今のままではいけない。

 「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」

 今の私にとっての一つの不幸のシナリオは、ある日突然誰からも相手にされなくなることだ。

 人生においてこれほど寂しいことはないと思う。

 
 私の部屋の隣にJuhn-hoは住んでいる。
 私は彼に何か言うべきだろうか。
 「もうちょっと早く仕事するように心がけてみようか」などと言うべきだろうか。
 「まあErynが怒るのもしょうがないよ、明日もあるし早く寝たら」とか言うべきだろうか。
 余計なことはしないで放っておくのが一番なのだろうか。
 自分のことだけ考えるべきなのだろうか。
 
 などと、考えながら夜が更けていくのでした。
 

ж この前、今月の前半2週間分の給料明細をもらったけど、1500ドルくらいになってて、Taxやらスタッフアコモやらで引かれて手取りは1100ドルくらいだった。
 そんなに悪い数字じゃないけど、一番忙しい時期に働いてこの金額ということは時給で働いている限りこれを超える数字は当分ないわけで、そう思うと虚しくなった。
posted by da-i at 07:36| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

だからその手を離して


前回の話の終わりに、「もう一つ書きたいことがあるけどそれはまた今度。」というようなことを書いていた気がするけれど、1週間以上も前のことなので完全に何のことだったのか忘れてしまった。
 忘れるくらいだからたいしたことではなかったのでしょう。
 多分明るい話題じゃなさそうだし。

 というか「髪を短くしろ!」と上層部の連中があまりにうるさいのでまた髪を切る羽目になった。
 働き始める前に1回、働き出してからもう1回と2回も切ったのにまだ気に入らないらしい。
 そういえば中学生のときも「お前、髪が長いぞ!」と何度も注意されていたのを思い出した。
 ひたすら無視だった。
 そういえば高校のときも。
 こういう不毛なやりとりはくだらないので好きじゃない。
 上層部であろうと、教師であろうと、「なぜだ?」と彼らに聞いても「規則だからだ。」というアホの一つ覚えのような答えしか返ってこない。
 管理能力の足りなさを規則でカバーしようとしても無理な話だ。
 規則で縛って管理した気になっている最低な人種である。
 そういう考え方は社会主義と一緒に滅んだと思っていた。
 

 そういう人間を相手にしていると精神衛生上よくないので、おとなしく初めてカナディアンのヘアサロンに行ってきた(今まではずっと某バンクーバー出張美容師のChikaさん)。
 新しい体験だ、と思うことで少し楽しい気分になれた。
 我々は常に新しい体験を求めている。
 「ホテルで働いてるんですけど、上の連中が髪を切れとうるさいので仕方がなく来ました。ホントはショートカットなんて大嫌いです。どうしましょう。」というと、「わかったわ、雰囲気は今のままで耳を出す感じでタイトになるようトライしてみるわ。ホテルの人の求めるショートヘアっていうのはサイドが短くなってれば問題ないのよ。」などと、20代だか30代だかわからないやたらとテンションの高い女性に言われて、ガンガン切られた。
 仕上がりは。。。
 YMO時代の坂本龍一みたい。
 デビューほやほやのB'zみたい。
 ミスチルの桜井も昔こんな感じだったかも。
 ホントに横だけ切られた。
 しばらく知り合いには会いません。
 髪が伸びる頃には。。。
 今のとこ辞めて別のところで働いてるかもね。
 くだらないやりとりでエネルギーを使いたくない。
 私をこのホテルに送ったのは間違いだったのかもしれない。
 何でもかんでも管理したがる人たちはちょっと苦手。
 早く次の日本人送ったほうがいいかも。
 仕事に関して文句は言わせないけどね。
 

 先週は仕事がかなり忙しかった。
 「よし、お前らよく聞け。今週はかなり忙しいから一人1日10時間働いてもらう。」などと、ひたすら上の人間に媚を売って昇進しました、というような満面の作り笑顔の上層部の人間に言われた。
 そして実際は一人1日12時間働いていた。
 人によっては14時間とか。
 給料が大変なことになりそうだ。
 夏のハイシーズンで一番忙しい週だったらしい。

 そして今週は少し落ち着いて8時間労働に戻った。
 先週と同じ調子でお金欲しさにオーバーワークしたら注意された。
 今週は忙しくないから定時で終われ、と。

 時給という制度の弊害はここにある。
 成果給であればどれだけ働いても文句を言われないが、時間給の場合たくさん働くと怒られるのである。
 労働者が働いて怒られる時間給という制度は、管理する側の人間の作った、管理する側の人間にとって都合のいい制度だということだ。
 「時給いくらでこのフロアを掃除してください」というよりも「このフロアを掃除したらいくら払います」と言ったほうが明らかに早く掃除が終わる気がする。
 時間給で働いているフリーターのスキルが向上しないのはそのためである。
 賢い管理者は「いくらあげるから時間もやり方も関係なしで好きにやってください」と言うだろう。
 賢い労働者は自分で効率的なやり方を考え短時間で終わらせるだろう。
 11時で仕事が終われるのに、シフトが12時までだからだとたらたら仕事をするのは愚の骨頂である。

 書いていて何かイライラしてきた。
 本当に書きたいことはこんなことではない。

 同じ職場で働くSatoshiさん。
 やはりこの人ただものではなかった。
 言うならば「Whistlerの金持ち父さん」である。
 「大よ、男は30代で必死に働いて40代で引退するのが一番賢いぞ。」と言われた。
 「このホテルの仕事なんてクソだ。別にオレは今すぐ辞めても十分食っていける。自分のビジネスを別に持ってるし、高級コンドも持ってるからいつでも引退できる。」と言っていた。
 「こんなとこで働くよりももっといいとこ紹介してやろうか。そっちのほうが楽しいし英語伸びるぞ。」みたいなことを言われてふらふらとついていきそうになってしまった。
 彼は長いことウィスラーに住んでいるしいろいろ知っているのでこれからいろいろ話を突っ込んで聞いてみないといけない。
 何事もリサーチが大事だ。
 スキーとテニスがプロ並にうまくて(テニスはバンフのトーナメントでベスト4入りしたらしい。スキーはプロでやってて企業からスキーウェアから何から広告用にもらってたとか)、17歳のかなり賢い息子がいて今学校で成績が一番で来年からUBCに通うとか。
 今度テニスをしようという話になって、さすがに今回はビーサンでは行けないなと思った。
 「もう一人息子が欲しいんだよね、もっといろいろ教えて育ててやりたい」と言っていたので、「ボクなんかどうですか」と言ったら「もうお前は子供じゃない」と言われた。
 そうかもう子供じゃないんだな、と改めて思ったが、何かを始めるのに遅すぎるなんてことは何もないと思ってる。
 留学も多分そう。
 行きたいときに行くのがベストタイミング。
 やらずに悔やむよりもやって悔やむさ、と「キャプテン翼」のあの人が言っていた。
 実際は違う。
 やらずに悔やむことはあっても、やってしまって悔やむことなどほとんどない。
 
 美和さんのブログのリンクからこのブログにたどり着いている方たちが毎日ちらほらいらっしゃるようなので、こういうこともたまには書いてみる。
 

 。。。違う。本当に書きたいことは何だろう。

 重いモノを持つときに人は腕の力で持ち上げてしまいがちだが、本当はそうではなくて腹筋をつかわなければいけない。
 腹筋を鍛えることで、男性であれば勃起力とその維持力のアップにつながるらしい。
 「Cty Hunter」のあの人の腹筋は多分すごい。

 。。。何を書いているのかわからなくなってきた。

 あ、そろそろ携帯とめられるかも。
 またFidoからメールが来始めた。
 とりあえずデイオフでバンクーバーに遊びに行くJohn-hoに、お金渡すから代わりに払ってきてよ、とお願いしてみた。

 来週は暇らしいから3日休みがもらえるらしい。
 何しようかな。
 今度こそどこか旅に出ようかな(前回の3連休はビクトリアへ行こうといって、結局バンクーバーの友人宅に3泊して終わった)。

 そういえばそのとき見たバンクーバーの花火もゲイパレードもなかなかおもしろかった。
 日本の花火より全然ショボいと聞いていたが、そんなに違いは感じなかった。
 ゲイパレードは、この人たちが踊るために音楽が存在するんだろう、と思うほど楽しげだった(コンドーム配るって話を聞いてたけどホントですか?手に入らなかったけど)。
 バンクーバーっていい町なんだなと改めて思った(バンクーバーを去っていった人たちも結構同じこと思ってるみたい)。
 過ごしやすい町と言われる理由が何となくわかった(冬の時期の連日の雨はちょっとイヤだけど)。
 居心地のよさと退屈さは紙一重で、バンクーバーと恋愛は一緒だなと思った。

 あ、そういえばもう一つ書きたい話が。。。

 まあ、書き始めると止まらないので今回はこのへんで。
 あんまり長い文章だと読んでもらえなくなる。

 あ、一番大事な報告は、ウィスラービレッジのブレンズでワイヤレスのネットが拾えることがわかったので、インターネットに不自由することもなさそうです、ということです。
 多分今回一番言いたいことはこのことに違いない。
 ホテルから歩いて10分〜15分くらい。
 バスに乗ったら5分くらい。
 ちなみにバスは無料で乗れる。
 バス待ってるより歩いたほうが早いじゃん、ということで結局歩く羽目になるんだけど、森の中を歩くのも結構気持ちのいいものです。
 もうすでにそれも飽きたけど。
posted by da-i at 10:53| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

何をするか、誰とするか。

 
 私がウィスラーにいる間に、またたくさんの人がバンクーバーを去っていった。

 出会いの分だけ別れがある、ということですが、(出会いの数)=(別れの数)と考えてしまうと、(出会いの数)−(別れの数)=0 になってしまうのでこれは違う。

 出会いと別れを繰り返して、お互いに何かを得ることができるので、正確には、(出会いの数)−(別れの数)= α>0 ということになる。

 このα>0を大きくするためには、どんどん出会ってどんどん別れなければいけない。

 なので、出会いも別れも大歓迎です。

 


 そして、今週もよく働いた。

 体力勝負の仕事なので、もう腕に筋肉がつき始めた。

 仕事というよりもジムに行っているような感じです。

 お金をもらって体が鍛えれるすばらしい仕事です。

 「仕事に行ってくる」ではなく、「エクササイズに行ってくる」と言うようにしている。

 そのほうが正確で、何より楽しい。

 

 この前、FourSeasonsのスタッフトレーニングを受けた。

 内容は、会社概要だったり、ホテル内をまわってどこに何があるかの説明だったり、各部署ごとのマネージャーの概要説明だったり、もりだくさんで1日がかりのオリエンテーションだった。

 スタッフ同士の自己紹介やら、グループごとに分かれてのクイズゲームやら、これはステップの授業か、と錯覚を起こしそうになった。

 一応このホテルの中で、1番良い部屋も見せてもらえた。

 扉を開けると、さらに扉が3つあって、その3つの部屋がすべて中でつながっている。

 ビジネスミーティングもできて、仏壇まである。

 時期にもよるが、1番高い価格で、1泊$6000らしい。


 確かにいい部屋だった。

 ラグジュアリーを絵に描いたような、ラグジュアリーを辞書で調べたらどんな言葉で表現するよりも、この部屋を見せたほうが早い、というような部屋でした。

 しかし、この部屋に泊まりたいか、と聞かれても、別に見るだけでいいです、と私は答えてしまうかもしれない。

 今私がこの部屋に泊まっても、確実に虚しさしか感じないような気がした。

 泊まっている間も虚しいだろうし、部屋をあとにするときはもっと虚しくなるだろうと思った。

 多分その理由は、どんな部屋に泊まるかが大事なのではなくて、何の目的でこの部屋に泊まるのかが大事で、最も一番大事なのは誰と泊まるかだ、と思ったからです。

 この部屋に見合う何かや誰かを私はまだ持っていない。

 逆に、そういう何かや誰かを持っている人にとっては、部屋の豪華さは必要ないんじゃないかとも思った。

 そういう人は1ルームであろうが、4畳半であろうが充実した時間が送れると思う。

 ラグジュアリーとは、そんな何かや誰かを埋め合わせるための商品なのではないかと気付いてしまった。

 セレブという言葉が死んでしまったように、ラグジュアリーという言葉もすでに死んでいるのかもしれない。



 そんなことを考えながら、洗い物で流れてきた楕円形の皿にチョコレートで書かれた、少し溶けかかった「Happy Birthday」という文字を、いつものようにジェット噴射で思い切り吹き飛ばした。



* もう1つ書きたい話があるのでそれはまた今度。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
posted by da-i at 22:04| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。