2006年09月26日

したいことを今しよう

ホテルで働き始めて2ヶ月が経った。
もう働き始めて2ヶ月になるのでしっかりマンネリ化の波に襲われています。

先日ホテル側から正式なアナウンスメントがあって、冬のハイシーズンの大量新規雇用につき、現在ホテル内のスタッフアコモデーションに住んでいる者は基本的に全員出て行きなさい、と宣告された。
11月までに自分で新居を探して移るように、と。
何て勝手なんだ、雇うだけ雇っておいてハイシーズンが過ぎればポイ捨てなのか、労働基準法はどうなってるんだ。。。みたいなことは全く思わず、仕事を続けるためにウィスラーに住み続けたければ移ればいいし、そうじゃなかったら仕事も辞めて別のところへ行けばいいし、というくらいにしか思わなかった。

「〜したい人は〜すればいい」という考え方は、昔から私の中にあって、多分この性格のせいで冷たい人に思われるんだろうなということもわかっている。
今回の件で言えば、働き続けたければ家を探せばいいし、そうじゃなかったら別のしたいことをすればいい、みたいなことです。
やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。
このブログの過去の日記にも大量にこんなような表現は出てきていると思う(実際ちょっと気になって調べようとしたけど、早速前回の日記で発見して、もう調べるまでもないなと思った)。
自分がどうしたいかが一番大事で、もっと言うなら、「他人は他人、自分は自分」みたいなところがあるわけです。

多分この性格は父親からの遺伝で、「イヤなら辞めろ。」みたいなことを私が小さい頃から彼はよく言っていた。
習い事なんかも始めるきっかけは与えてくれて、やめるのはお前の自由だ、とうような育て方で、多分こういう半放任主義的な育て方が子供にとっていいんじゃないかと感謝している。

イヤなことをイヤだイヤだと言いながらだらだらと続ける癖を子供のうちからつけてはいけないのである。
自分がどうしたいのかがわからない子供が育ってしまう。
そういう癖のついた大人はタチが悪い。
というか最低だ。

ありがたいことに、私の場合イヤな事をし続けていると必ず病気になるように体ができている。

「我慢は体にも良くないし、精神上にも良くない」というのが先祖代々伝わる家訓なのだ。


そんな父親から久しぶりにメールが来た。

日本を離れてから一度も家族には電話もしていなくて、メールをたまにするくらいだけど、そのたまのメールのやりとりで何か親子の絆が深まったような気がする。
よく考えたらメールのやりとりは手紙のやりとりで、面と向かっては言えないけれど、というような内容がお互い平気で書けたりするわけです。
こういう一緒にいるわけじゃないけど遠くもない、みたいな関係が私は大好きで、友人関係もくっつかず離れずみたいなのがベストだと思っている。
お互い別のことを別の場所でやっていて、一人だけど一人じゃない、みたいなのが良い。

で、その父親からのメールの内容は前回私の送ったメールの返信で、私が送った内容は、「バンクーバーのホテルに2泊できる2名様のチケットが抽選で当たったので、よかったら夫婦で遊びに来てください」という内容(実は私はこう見えて親孝行息子なのだ)。
で、父親からは信じられないくらい長いメールが返ってきた。
「バンクーバーといえば今からちょうど30年前に旅行で。。。」などと昔話から始まっていて、当時はまだ日本人も少なくてどうのこうのとか、ラーメンを頼むのに英語がわからなくて苦戦してとか(なぜラーメン。。。)、どうでもいいことがたくさん書いてあったわけです。

要は、もじもじしながらもバンクーバーに行きたいらしい。

「それを聞いてお母さんがやけに行く気満々になって。。。」みたいな人のせいにしているけど、行く気満々なのは間違いなく父親なのである。

そして「来年の5月くらいなら何とか。。。」などとしっかり話を詰めてくるのである。

イヤなことはイヤだとはっきり言うくせに、「〜したい。」というのが言えない昔の人なのである。
そういうのはかわいい。

イヤなものはイヤだとはっきり宣言して、したいことはしたいとはっきり宣言するのが家系図に基づいた私の信条なのだ。


 ただ一つ気になったのは、次期の総理が安部さんに決まってこれで日本も変わるだろう、というようなことがメールに書いてあって、無責任にそういうことを言う大人が私は大嫌いだったと思い出した。
そういうのを聞くたびに、こんな日本にした張本人が何を言っているんだといつも思う。
これで日本も変わるだろう、と言っている人たちこそが変わらないことには、いくら政治家が変わろうと同じで、要はあなたがどうしたいのか、なのである。
自分の代わりに他人に期待する癖もできればやめたほうがいいと思う。



ж この前、留学をしていて焦りのようなものはないか、と友人に聞かれた。
そのときは曖昧なことを言ったけど、「焦りのない日はない」、が私の答えだ。


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2006年09月20日

一生懸命留学してます。

 最近雨がよく降ってる。
 私が留学を始めた1月のバンクーバーはこんなような天気が毎日続いていたので、それを思えばたいしたことはないけれど、やっぱり朝起きて雨が降っているともうちょっと寝ていようという気持ちになってしまって起きるだけでエネルギーが必要だ。
留学を始めた頃は連日の雨の中何をしていたのだろう。
学校が終わった後、一体みんな何をしていたのだろう。
そんなような話を友人としていて、何をしたらいいのかわからなかった、という結論になった。
雨じゃないにしても、語学学校に通っていた頃、学校が終わった後みんな何をしていたのだろう。
私は何をしたらいいのか本当にわからなかったし、まわりの人たちが何をしているのかもわからなかった。
ちょっと今日は用事があるから、などといって足早に帰っていく人たちを見て、絶対用事なんて大したことないに決まっている、と横目で眺めていた。
英語の勉強をすればいい、と頭ではわかっていても、どうやって?というような状態だった。
図書館で勉強、という選択肢なんかもあって、私もよく図書館に通ったが、今から思えば図書館で何を得たんだろうと不思議に思ってしまいます。
先生の卵が授業の練習をしてその生徒役をすると無料で授業が受けれる、というようなものがあって少しおもしろいなと思ったけど、卵なだけにそんなに質のいい授業ではなかった。
やはり卵は卵なのだ。


 で、今その頃に戻ったら学校が終わった後、何をするだろうかと考えてみた。
結論は、やっぱり何をしていいのかわからない。
ワーホリビザであれば間違いなく学校が終わったらアルバイトをして働くのが一番いいんじゃないかと思う。
私はビジタービザだったので働けなかった。
ビジタービザやスチューデントビザでバンクーバーで語学学校に通っている、という場合の学校以外の充実した留学生活というのはどういうものなのだろうか。
このニーズを満たすビジネスは有望だとずっと思っている。


 先日、デイオフを利用してバンクーバーに遊びに行ってきた(みなさまお世話になりました)。
友人がバンクーバーに帰ってくると聞いていたのでバンクーバーに行ったのに、その友人には会えず、何をしに行ったのかよくわからなかった。
ブックオフで大量に本を買っているうちにますます何をしにきているのかわからなくなったりしていた。
そしてバンクーバーの朝夜は半袖と薄いシャツとビーサンの私には過酷なほど寒かった。

 Keita邸に2泊させてもらった(本当にお世話になりました)。
ダウンタウンから遠いとか(バスが30分に一本って。。。)、シャワーの勢いが弱いとか(誰かあの穴ふさぎましょうよ。。。)、そういったことは置いておいて本当によくしてもらった(今回は宿泊費もちゃんと置いてきたのだ)。
和やかな雰囲気の夕食は、ホストファミリーの醍醐味だけど、本当に私はああいうのが苦手だなと改めてわかった。
誰もがどうしたらいいのかわからなくて、誰もが自分が本当はどうしたいのかも混沌の中でわからなくなるのだ。
プレゼントしたティムビッツの箱が和気あいあいとした食卓を伝言ゲームのようにぐるぐる回っているのを見て、置いとくから食べたい人は勝手に食べろ、という文化で育った私はくらくらと眩暈がし始めて(ティムビッツ40個じゃなくて20個にしといてよかった)、そのあと何とかという言葉遊びのゲームがどうのこうの、という話になったときに危うく病気になりそうになった。
食後に、愛想笑いが必要なときもあるよね、というようなことを言われて、「もちろん。」と答えた私は、あとになって本当にそうだろうかと少し考えてしまった。
ああいったシチュエーションでは、話題を振る役、それに対して意見を言う役、何かおもしろいことを言って笑いを提供する役、というように誰もが何らかの役割を担っていて、愛想笑いをする役というのが数ある役どころの中の一つの無難な選択肢であることは間違いがないと思った。
その役がイヤな人は別の役どころで参加すればいいだけで、自分のやりやすい役どころを見つけてしまえばいいのだと思った。

 あと、「MyBoss,MyHero」といういわゆる学園モノの日本のドラマを見た。
ドラマなんて、と思っていて見事にはまった。
全10話あるうちの第2話まで見たところで、全部見ようと思ったら何時までかかるのか計算したら、次の日の午前8時と出たのであきらめて全部ノートPCにコピーした。
学校ドラマがなぜおもしろいのかというと、学校生活というのは誰もが体験している共通のテーマで入り込みやすいことや、学校というのは社会の縮図で人間関係のトラブルは実際の社会の人間関係のトラブルの原点でイメージしやすい、みたいなことを聞いたことがあるけど、そういうのはこの際どうでもよくて、17才と偽って学校に通う主人公は留学生のようなものだなと思った。
「俺たちはここでは幼稚園児なんだ」みたいなことを誰か留学生が昔言っていたけど、確かにその通りで、言葉のわからない我々はここでは幼稚園児だと偽って生活しているようなものなのかもしれない。
見た目も違う、勉強もついていけない主人公がどうやって高校生の輪の中に入っていくのかというと、とにかく何事も一生懸命ということなのだ。
掃除当番も球技大会も学園祭もとにかく必死なのだ。
その結果、友情やら愛情やらいろいろなものがやっと手に入るのである。

 では、一生懸命留学をする、必死で留学するというのはどういうことだろうか。
一生懸命英語を勉強するとか、必死で英語を勉強するとか言うと、日本語の性質上、何か努力がどうのこうのとか苦労がどうのこうのとか暗い話になりがちだけど、早くそういうのから脱却しなければいけない。
一生懸命留学する、必死で留学する、というのは、どちらかというと、一生懸命楽しむ、必死で楽しむ、に感覚が近い気がする。
そして驚くことに一生懸命楽しむ、必死で楽しむという感覚は日本語の文脈の中に多分これまで存在しなかった。
「一生懸命」や「必死」は、決して「努力」や「苦労」と同意語ではないのだ。
間違っても、一生懸命な人が努力や苦労をしていないという意味ではなくて、正しく一生懸命な人は努力も努力と感じていないし、苦労も苦労と感じていないのだ。

 努力も苦労もしないで一生懸命、必死に生きることが私の目標です。

 カナダでの毎日はそれを達成するための戦いの日々なのだ。


ж B'zの曲を100曲ぐらいもらった(マサくんありがとう)。
この前、B'zの小話を一つ仕入れました。
なぜ「FireBall」の2番のサビの「魂に火をつけろ〜」の前で「Make」と稲葉が叫んでいるのか、という話。
この曲は資生堂のタイアップのため「メイク」という単語を歌詞の中に入れてCMで流すのが条件だったらしくて、それを曲が出来たあとに言われて、しょうがなくサビの前で「メイク」と強引に入れて「メイク魂に火をつけろ」と歌う羽目になったらしいです。
私はこういう「要はメイクって入れればいいんでしょ。」というような強引な力技が大好きです。

ж ドラマにも出てきたけど、学校のテストのとき教師がよく言っていた「わからなくても何か書いて解答欄を埋めなさい。」というのは、改めて聞いたら人生の格言のように思えた。

 


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2006年09月13日

アディオス。

ハイシーズンが終わって、ウィスラー全体が閑散期に入った。
ヴィレッジで目立つのは中国人の団体ツアー客くらいなものだ。
団体ツアーでウィスラーに来て、彼らは何を得て帰っていくのだろう。
みんなで集合写真を撮って、家に帰って写真を改めて見て、何を思うのだろう。
ウィスラーに行ってきました、ただそれだけじゃないだろうか。
お土産など買っていくんだろうか。
帰ってから近所の人に配ったりするのだろうか(それは日本人だけなんでしょうか?)。
私は早く世界各国にあるいわゆるお土産売り場と呼ばれるものがすべて潰れてしまえばいいと思っている。
何でも手軽に済ませて、それで満たされてしまう観光業における奴隷の群れは、公害に認定されればいいと思っている。

閑散期につき、ブレンズも休業になってしまった。
これでインターネットが使用不可能で万事休す、というのは嘘で、ちゃんとヴィレッジのどこで使えてどこで使えないかというのは調査済みなので全く問題がありません。
どこどこの店の前のベンチでワイヤレスが拾える、というような場所は5つくらい見つけてある。
というよりもブレンズの店員は感じが悪かったので、ここしばらく行ってなくて、ブレンズの前を通るたびに「潰れろ。」と呪いをかけていたらホントに閉店してしまって驚いた。
きっと冬にはまた営業するのだろう。
真夏にアイスコーヒーを頼んだのに、散々待たせた挙句ホットコーヒーを出してきたブレンズは、冬にはホットコーヒーの代わりにアイスコーヒーを出すのだろうか。
スモールサイズを頼んでいるのに、ラージサイズの料金を取り続けるのだろうか。


 昨日の夜を最後に同僚のロベルトが仕事を辞めていった。
本人は「おれはクビだ。」と言っていたが本当のところはわからない。
私は何度となく深刻な顔をして何かを考え込んでいる彼を何度も目撃していた。
彼は最後まで戦い続けていた。

 3ヶ月と1週間働いていろいろ学んだ。
今日職場に行ったらマネージャーに今日が最終日だと言われ、明後日にはアコモデーションも出ていかなければいけない。
これがカナダの会社のやり方で、おれは何も言うつもりはない。
カナダではおれは無力だ。
ここはメキシコじゃない。
カナダに来たのは間違いだったのかもしれない。
でもまだメキシコには帰る気はない。
次はオーストラリアに行こうと思う。
このことを忘れるな、絶対にこんなところで一生懸命働いちゃダメだ。
手を動かし続ければそれでいいんだ。
もっといい仕事を見つけなくちゃいけない。
おれはスペイン語はもちろんイタリア語もフランス語も喋れるけど英語がもう少しなんだ。
英語がもっと出来ればおれには知識もあるからいくらでも仕事は見つかる。
お前だってそうだろ?
とにかく英語を伸ばさなくちゃいけない。
いつまでもこんな底辺の仕事をしていちゃダメだ。

というようなことを仕事が終わった後、2人きりのオフィスで彼は語っていた。
一生懸命働いちゃダメだ、と言いながら、彼は誰よりも真面目に働いていたのを私は知っている。

お別れのプレゼントにワインを彼にあげた。
1年後には多分メキシコに帰るから、それ以降ならいつでもうちに寄っていってくれ、と言って住所やら電話番号やらをもらったあと、「Good-Byeはまだ言わない。あと2日はこのホテルにいるから」みたいなクサイせりふを残して自分の部屋に戻っていったけど、そんなせりふも彼にはよく似合っていた。

「NoProblem , Dai!」、「ThankYou , Dai !」という彼の言葉が頭によく残っている。
彼にノープロブレムと言われると、どんなに仕事が忙しくても大丈夫な気になれたし、あんなに爽やかに自然にサンキューが出てくる人を私は彼以外に知らない。
ああいうのを包容力というんじゃないかと思った。

彼には大事な彼女がいて、その彼女もこのホテルで働いている。
仕事の時間以外はだいたい一緒にいて、仕事中もたまに内線をかけたりしている。
彼女がキッチンデビューした日なんかは、「おれ心配だから見てくる。」と言って何度も行ったり来たりしていた。
こういう男に愛された女は多分幸せなんじゃないかと思う。


もう一つ昨夜印象的だったのがウィスラー在住のカナディアンErynで、ロベルトが辞めてしまうのを知って、あからさまに寂しそうな顔をしていた。
Erynはもうこのホテルに勤めて1年以上経っているので、いままで何人の人とこういう風に仲良くなっては別れ、というのを繰り返しているんだろうと考えたら、私も少し複雑な気分になった。
留学エージェントの人なんかがよく言っていることで、この仕事はいろんな人と出会って、力になってあげて、どんどん人が成長していくのを手助けする仕事で、とてもやりがいがあるけど、最後には大体の人が日本に帰っていくので、出会った分だけ別れがあって寂しい仕事でもある、みたいなことが今回のケースのErynも同じ心境なんじゃないかと思ったらまた少し複雑な気分になった。
もちろん私もいつかは去るわけです。
私が去るとき誰かが寂しそうな顔をしてくれるだろうか。
そのためには。。。
英語を伸ばさなければいけない。

もし住むところがなかったり、何かトラブルがあったらいつでも電話してくれ、と私は彼に言って、冬になるとまた仕事が忙しくなるから体に気をつけろ、と彼は私に言って、仕事がイヤになったらすぐにでも辞めて他のことをするよ、おれは奴隷じゃないからいつでも自由だ、と私は彼に言った。

私はその言葉をしっかり守っていこうと思う。


ж 今週の金曜にバンクーバー行き決定。


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2006年09月09日

時にはセキュリティに捕まってみたり、「祭りのあと」を毎晩聴いてみたり

仕事が急に暇になった。
客室率20%切ったりとかして、AM1:30までのシフトなのにPM11:30くらいにすべて終わらせて部屋に戻ったりも出来た(もちろん1:30まで仕事をしましたと上司には報告)。
休みをたくさんもらっている人もいるけど(3連休とか4連休とか)、私はなぜか週休2日のままです。
これはいいことなのです。
仕事のある日を充実させるよりもオフの日を充実させることのほうがはるかに難しいからです。
何かをして収益があるだけで充実感がこんなに違うものなのかと感じる(あくまで私の場合)。
でも決して貯金が好きなわけじゃない。
貯金なんて大嫌いだ。
でもお金を使うのはもっと嫌いだ。
お金の使い方ほど難しいものはない。
こういうのは誰も教えてくれない。
大半の人は間違ってるんじゃないかと思う。


先日、シェフがキッチンの人みんなのために大量に焼いたドーナツが余っていたので、帰り際に袋に詰めて持って帰ろうとしたら、深夜の見回りのセキュリティにバレて「これはみんなのものだから今すぐ元の場所に戻しなさい」と叱られた。
キッチンで食べる分にはいいけど、持って帰ってはいけないらしい。
ちゃんと元の場所に返すかどうかキッチンまで同行されて、完全に犯罪者状態だった。
よっぽど戻した瞬間に、残りのドーナツを全部彼の目の前で食べ切ってやろうかとも考えたが、そういう大人気ないことをする年でもないのでやめた。
アレックスはというと、食器を運ぶカートに隠して積んで、わざわざ自分の部屋までカートごと持ってあがって、また別の階に食器を運んで、というようなことをして手に入れていた。
そこまでするのか、と思ってそれはそれで子悪党ぶりを情けなく思ったが、「ショーシャンクの空へ」という映画で我々は何を学んだのかというと、主人公が刑務所の食堂で言った「捕まるのは盗みの才能がないからだ」ということで、詰めの甘い私は泥棒では食べていけないなと今後の職業選択の幅が狭まった。

セキュリティが厳しくなったことが、我々にどういう影響を与えるかというと、仕事が終わった後の夜食もダメになるということだ。
我々は仕事後に勝手にフレンチフライやらナゲットやらを調理して、おなかいっぱいで部屋にもどっていたのだが、それもリスクが大きいということだ。

もちろん帰る途中で、たまねぎやらじゃがいもやらをダンボールから勝手に持ち帰るのも極めて危険だということになる。

トイレットペーパーの持ち帰りも今後注意しなければいけない。

ということは、社員食堂から袋詰めの食パンを勝手に持ってくるのも危ない。

と挙げだしたらきりがないほど思い返したら悪事がボロボロと出てきて自分で驚いた。
多分ここ一ヶ月の食費は10ドル以下だ。

信じられないほどタダ飯をよく食べている。

一番よく食べた日はいつだっただろう。

それは2週間ほど前のある日のこと。
さあこれから仕事へ行くか、でもその前に軽く腹ごしらえ、と社員食堂でトーストを数枚食べて仕事に行ったらケーキの残り物が職場に置いてあった。
もちろん1つ2つでは飽き足らずガンガン食べる。
しばらくすると夕食の時間になって、社員食堂でたらふく食べる。
職場に戻ると、今度はクッキーやら何やらが置いてあって、これも一度にたくさん食べられないものの、時間が経つにつれて皿の上から私のおなかの中にお菓子が移動していった。
またしばらくすると遠くのほうが騒がしくなってきて、行ってみるとサーモンやらパスタやらチップスやらが山のように積まれていてウェイター達が群がっていたので、もちろん私も参戦する。
そして仕事終了間際には、シュリンプやら生牡蠣やらのシーフードの盛り合わせがドラム缶二つ分くらい運ばれてきたので、しっかりとキープしてあとで食べた(さすがにこれは食べきれない)。

半日で6食いただいたのが今のところ最高記録です。
同僚に「悟空かお前は。」と言われたりしながら(やっぱりドラゴンボールはグローバルスタンダードだ)食生活は多分今までの人生で一番充実しているなと思った。
おなかいっぱいです、と言うたびに何か悔しい気分になる。
バンクーバーでの粗食生活が懐かしい。
今の私は、ヌードルって何ですか?T&Tって何ですか?サンライズって何ですか?という状態です。
ロンドラで29セントのヌードルを買うか、サンライズの2つで89セントの出前一丁を買うか迷うことももうないし、T&Tの菓子パンに40%OFFの値札が貼られるのは何時からだとか、その菓子パンがいつまで経ってもカビが生えないのはなぜなのかとか、T&Tがタイワニーズタイワニーズの略だというのは本当かどうかなど、もうどうでもいい。
飽食の時代がやっと訪れたのだ。


不幸にも、こうして奴隷たちは飼い慣らされていくわけです。
要はホテルに従業員を依存できるぎりぎりまで依存させるわけです。
依存した状態に慣れてしまった人々は、もうそれなしでは生きていけなくなってしまう。
大企業に勤めるサラリーマンと同じなのである。
おいしい蜜を吸っているつもりが、実は逆に吸われているのです。
仕事における依存に限らず、恋愛での依存など人間関係においても依存というのは絶対的に良くない。
それなしではいられなくなるのも良くないし、もしそれが急になくなったときにどれだけ依存していたか気付いてももう遅いのだ。

どんなにおなかがいっぱいになっても、少しくらい給料が良くても、快適な部屋に住んでいようとも、何かを失っていっているような気がするのはそのためである。
奪われているものが何かはわからないが、大事なものであることは確かで、そういうのはしっかり誰にも渡さないように守っていかなければいけない。
たとえ奪われているものが何かわかっていたとしてもそれは人に言う類のものではなくて、自分の中にしっかりと大事にしまっておかなければいけない。


あとは、日本を感じる音楽を最近よく聴くようになってしまって、この症状はかなりひどくて、桑田佳祐っていいよね、と真顔で言えるほどわかりやすい日本の歌謡曲にひかれてしまう。
「祭りのあと」を毎晩聴くようになってしまった。
いままで、あんなのは暗い演歌だ、とバカにしていたのに。
ミスチルとかドリカムとかを聴くようになってしまったらどうしよう。
70年代のフォークとかを聴くようになってしまったらどうしよう。
井上陽水とかさだまさしとか言い出すようになったらどうしよう。

と思っていたら、もう私の中の歌謡曲ブームは去っていってしまった。
LedZeppelinとかDoorsとかPinkFloydとかまたそんなのばかり聴くようになった。

日本の歌謡曲のテーマは要は「弱い人間」で、人ってホントはみんな弱い存在だから、という世界だが、よっぽど寂しかったり、つらかったり、弱ったときにしかこういうのは聴けないんじゃないかと今になって思った。
悲しい出来事もなく、寂しい思いもしていない毎日の中で、私は弱っていたのだろうか。

演歌や歌謡曲が弱い人間を歌っているというのは本当だろうか。
実は逆で、本当は人間は強いということが言いたいんじゃないだろうか。

暗い歌謡曲の世界で、私は人間の強さに共感していたんだと思う。
なぜそう思うのかというと。。。

多分、こういう自分にとって大事な部分は人に話す類のものではないだろう。


ж 来週末にバンクーバーに行くかも。
posted by da-i at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

バンクーバーのマリオットホテルに泊まりたい人はご連絡ください

デイオフで時間があるので連続更新です。

朝起きて、まずウィスラー図書館へ行ってみた。
その土地の人間が文化的かどうかを知るためにはその土地にある図書館へ行けばわかる(本が充実している図書館がある町の人々は文化的だ、ということだろうか)、というようなことを立花隆が言っていた。
ウィスラー図書館はどうかというと、バンクーバーの図書館の大きさをパソコンのキーボード全体の大きさと考えると、多分「Shift」と「Enter」のキーを足した程度の大きさですが、小さいながらも結構充実している。
日本語の本もある。
「犬夜叉」とか「Naruto」とかの英語で書かれた漫画もちゃんと置いてある。
日本にいるときからいつもしている、いろんな町へ行った際の私の図書館の充実度の調べ方は、村上龍の本の充実度で計っているのですが(中谷彰宏の充実度で計る場合もある)、ウィスラー図書館はどうかというと、2冊だけ置いてあった。
その2冊は「テニスボーイの憂鬱(上)(下)」だった。
なぜテニスボーイなのだろう。
有名どころの、「トパーズ」とか「限りなく透明に近いブルー」とかじゃなくてテニスボーイ。
ウィスラーに来たら、SMとかドラッグとかSexとかそういったことよりも、健全に大自然の中でテニスをするのをお勧めしますよ、ということだろうか。
で、パソコンのバッテリーの充電をしながら小一時間読書をした。

 その後、アクティヴィティ大好きなAlexについていって登山を小一時間楽しんだ。
最初、「オレが登りたいのは本当はあの山だ」と言って彼が指差した山は、遠くにそびえるまだ山頂に雪が残った山というより山脈だった。
とりあえず今日はリハーサルだ、それにその格好じゃ今日は無理だ、とパソコンの入った重たいバックパックを背負ってビーサンを履いた私に言い、我々の登る山はBlackcombの冬はスキーやらスノボやらで大賑わいのイージーな山に決まった。

なぜ普段なら絶対やらない山登りなんかを私が今回してみる気になったのかというと、最近聴いた「RichDad,PoorDad」の第五巻、「RitireRich,RitireYoung」のAudiobookが原因です。
今から20年位前に、「RichDad,PoorDad(邦題;金持ち父さん貧乏父さん)」の著者「RobertKiyosaki」が何とか若くしてリタイヤするためにプランを練らなければいけない、と妻と友人と3人で山に登って山頂の小屋でああでもないこうでもないと話し合いをした、その山こそが他でもないウィスラーの山だと判明したからです。
そういうことなら行かなければいけない。
何かひらめくかもしれない。

しかし、途中まで登って時間がなくなって引き返してきた。
なぜ時間がないのかというと、昨夜はフォーシーズンズホテルの従業員パーティーが行われて、それに出席したかったからです(まあ山はいつでも登れるし)。

 パーティーの内容は、まず受付に行くと、ドリンクチケットが2枚と、抽選券と、パーティー会場内のカジノゲームで使えるおもちゃの紙幣$2000を渡されるわけです。
料理はもちろん食べ放題で、ジュースなんかも飲み放題で、ケーキやらチョコレートやらアイスクリームやらも山のように盛られていた。
メイン会場に入ると、ブラックジャックやらポーカーやらルーレットやらのゲームと、大きなスクリーンには1週間前からこつこつと撮られていた従業員の蔵出し画像集が延々と流されていた。
そんな中、同じ部署でも他の人は写真がちらほら流れているのに、私の写真は一枚も流れなかったので、みんなに気付かれないように一人でそっとへこみながら、パーティーという場で一番楽しんでいる人というのは何をして楽しんでいるのだろう、ということを考えながらあたりを見回していた。

日本人はパーティーが苦手と一般的に言われているが、他の国の人と何が違うのだろうとずっと考えていた。
いろんな人を見ているうちに、一般的に言われる、日本人はノリが悪いからだ、という理由は違うような気がしてきた。
それはパーソナリティーの問題で、国籍の問題じゃない。
要するに、自分が何をしたいかがわかっていないことと、何をしたら自分にとって楽しいかがわかってないから、という結論に落ち着いた。
パーティーに出て、いろんな知り合いを増やしたいならいろんな人に声をかければいいし、おなかがすいていて空腹を満たすのが目的ならひたすら食べていればいい。
みんなでわいわい騒いでいるところに入って一緒に騒ぐのが何よりも楽しいんだ、という人は騒いでいればいいし、そういう人たちを見て楽しい人は見てればいいし、人が騒ぐ企画を練りたい人は観客側じゃなくて、主催者側の立場になればいい。
あえて日本人は、という言い方をするならば、ノリが悪いどうのこうのよりも、自分以外の他人の集団が楽しそうにしているそばで、平常心を保てないのが日本人なのかもしれない。
まわりの他人が楽しそうだと寂しい気持ちになるのが日本人なのかもしれない。
つられて楽しくなる、というのは可能なのだろうか(そんな人いるんだろうか)。
まわりが楽しんでいると私も楽しまなければいけないと変な強制力が働くのが日本人なのかもしれない。
どうしてだろう。
それは小さい頃から人と仲良くしなければいけない、友達をたくさん作らなければいけない、という強制力を伴う教育を受けて育てられたからなんじゃないか、という気がした。
日本というのは他の国に比べて「〜しなければいけない」「〜してはいけない」という標語が多い国なのだろうか。
押さえつけられて育てられた子供は自分の本当にしたいことまで押さえつけて大人になるのだろうか。
だとしたら、学校に貼ってある「廊下を走ってはいけません」は、「肩で風を切って廊下を靴音を鳴らしながら軽快に歩くと気持ちがいい」に変えたほうがいいんじゃないだろうか。


そんなようなことを考えていたら、隣に座っていたAlexに「おい、当たったぞ」と言われてスクリーンを見たら、私の名前が表示されていた。
何か当たったらしい。
もらった景品は、ウィスラーフリーマガジン「Pique」協賛の旅行バッグと、ウィスラースキースノーボードスクール協賛のTシャツとパーカーとよく使い道のわからないカード入れと、お土産売り場の熊のぬいぐるみ(意味不明)と「VancouverMarriottPinnacleDowntown2泊ディナー付お二人様チケット(ウィスラーとバンクーバーの往復バスチケットも同封)」だった。

パーティーが終わって部屋に帰るまでの間に、熊のぬいぐるみを抱きかかえた私を見て、いろんな女性から「あら、何て可愛い熊さんなの。もしいらないようなら私に頂戴ね。」と声をかけられたりしているうちに、コスト0で何かが手に入った場合、無条件に気分がいいと改めて感じた。
高価なスキーの板を当てたアランという初老の同僚は、「息子がスキーの板を欲しがっていたけど高くて買ってやることが出来なかった。これで息子が喜んでくれる」というような微笑ましいことを言っていて、金持ち父さんも貧乏父さんもこの瞬間のアランにはかなわないだろうなと思った。

おなかもいっぱいで、景品も当たってラッキーな一日だった。

でもこれは幸せとはまた違う。
「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」という話を前々回に書いたけど、この話には続きがあって、「幸せはその逆だ。幸せはベランダにある小さなかわいらしい花の苗だ。あるいはカナリアのひなだ。目に見えて少しずつ少しずつ成長する。」と下の句がある。

目に見えて少しずつ成長しているものはなんだろう。

何も思いつかないので終わります。


жパーティーの最中に、同僚のロベルト(メキシコ人)が「大、見てみろ、こうやって奴隷は飼い慣らされていくんだ」とパーティーホールの片隅で従業員一同を指差しながら私に言った。
この一言で私はさらに彼のことが気に入った。

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2006年09月02日

ラスプーチンとかシェイクスピアとか春樹とか

昨夜は、Alexとラスプーチンの話で盛り上がった。
私はラスプーチンを完全に勘違いしていて、犯罪者で死刑になった人だと思ってたら全然違った(どこでそんな話を聞いたんだろう)。
実際ロシアではは一種の革命家のような位置づけらしい。
魔術のような治癒能力を持っていて、怪我や病気を治せたとか、予知能力があって例えば、常日頃から「私が死んだら私の死の50日以内に革命が起きるだろう」と言っていて、本当に死後50日以内に革命が起こったり、よく伝記モノにあるように、あとから誰かが作った話だろうというような内容が本当の話だったりするわけです。
当時の皇室の女王の息子の回復不可能な病を治したことがきっかけで政治的な力を持ち始め、皇室内の多くの女性と関係をもってブイブイいわせていたところ最終的には甥っ子に殺されるらしい。
 で、殺されるときのエピソードは私も知ってるくらい有名な話で、銃で5〜6発撃たれたあともまだ死なないでフェンスをよじ登って逃げて、さらに捕まって袋叩きにあってもまだ生きていた。
そのあと橋の上から川に突き落としてもまだ死ななかったとか(検死解剖の結果、肺に水が入っていたことから水中で呼吸をし続けていたことが判明した)。
生命力の強さと性欲の強さは多分関係している。
出世欲みたいなのも多分関係している。
世の中のいわゆる社長と呼ばれる人たちは性欲が強い人が多いらしい。
なので女性の皆様は生命力の強そうな男をつかまえましょう。

 もう一つおもしろい話があって、ロシアではラスプーチンに対して賛否両論なのにアメリカでは肯定派が多いのはなぜか、という話。
これは一冊の本がきっかけなんだそうです。
というのも、ラスプーチンの死後、ラスプーチンの親族の誰かが(誰だったか忘れた)アメリカに移民した。
そこでロシアのことやラスプーチンのことを詳しく著述して(いわゆる告白本のようなもの)アメリカで出版したわけです。
親族なので肯定派の内容なわけで、それを読んだアメリカの人々はラスプーチンに対してポジティブなイメージをもっているらしい。
なので「ラスプーチン」という映画がアメリカで公開されたときも、肯定派の内容で、その内容もその本の影響をうけた内容らしいです。


 あとはこの前、文学部出身のJuhn-hoに連れられて、シェイクスピアの演劇を$25も払って見に行ってしまった。
演劇というのは、要は出てくる人が事あるごとに空を見上げ、手を広げて「ああ、私は何て〜なんだろう」と声高々に叫びながら人生の苦悩(基本的に恋愛がらみ)をこれでもかと見せつけてくるアレです。
開演した瞬間に私は、真昼間の(午後二時の屋外での公演)森の中で、妙な宗教音楽と儀式的な踊りの洗礼を受け、「ああ、私の$25(2時間分の労働に値する)はこの人たちの今夜の飲み代に一瞬にして変わってしまったんだな」と寂しくなって、開始10分後には既に話がわからなくなり完全に迷宮入りしてしまった。
しょうがないので、出てくる人たちに片っ端から、私の払った$25にあたる彼らの今夜の酒代の割り振りを考えてあげていた。
あの主人公っぽい人は2杯までOKとか、あのおじいちゃんは年なのに頑張ってるから寝る前に1杯だけ飲んでよしとか、あの透け透けの衣装を着た美女はボトル空けてもいいなとか、あのロン毛は女性と絡むシーンが多いわりにあんまり喋ってないから2口しかダメとか、そんなようなことをして私が一人で楽しんでいた隣でJuhn-hoはしっかり睡魔と闘っていた。

クライマックスはこの手の演劇の定番である自殺と発狂だった(悲劇にとってお約束の自殺と発狂もこれだけ使い古されると喜劇に変わる)。
何もそのくらいのことで死んだり狂ったりしなくてもいいのに。
空に向かって苦悩を大声で告白する人々は、本当に自分のことを相手にわかってもらおうと思ってそんなことをしているのだろうか。
もっと適切な方法があるような気がしてならないし、逆に、自分のことは決して他人にはわかってはもらえないのだ、というニヒリズムを空に向かって自分自身で確認しているようにしか思えなかった。
ラスプーチンのようになかなか死なない人間もいれば、シェイクスピアの演劇のように簡単に死んでしまう人たちもいて、いろんな人間がいるもんだなと改めて思った。


話は飛んで、サイバーエージェントの藤田社長のブログを読んでいて(渋谷で働く社長のアメブロです)、「国境の南、太陽の西」という本について書いてあって、おっと思った。
ちなみに村上春樹の本です。
春樹の本は肌に合わないので読まないことにしてるんだけど、この本だけは別。
内容はもう忘れてしまったけど(多分これも春樹の文章が肌に合わないせい)。

藤田社長の経営者観点の書評が勉強になった。
こんなことは全く気付かずに読んでた。
本というのは不思議なもので、同じ本を読んでも読む人によって得るものが違う。
読んでいる人のレベルに合った内容だけが得られるようになっている。
小学生が読めば小学生レベルの、中学生が読めば中学生レベルの内容が読み手に返ってくる。
だから大人になってから子供の頃に読んだ本を読むと違う感想を持つわけです。
大人になってやっとわかる、という本も多数存在する。

と考えていくと、シェークスピアは今の私には早過ぎたのか遅過ぎたのかわからなくなった。
古典文学というのは、子供と老人のための物語なのかもしれない。

(以下「渋谷で働く社長のアメブロ」より抜粋)

主人公は8年間も自分に合わない会社勤めをした後、青山通りで「ジャズを流す上品なバー」の経営に成功している。
私が本を読んで思うところ、この経営者(主人公)は成功すべくして、成功している。

1.お店の内装や音楽、メニューなど、詳細に渡って主人公が自分で細かく指示している。

(小さい規模では自らが責任もって細部に拘らなければならない)

2.その際に、「若者がデートでの来店だったら?一人でのみに行くのなら?」など想像しながら、決めていると言っている。

(自己満足でなく、顧客の立場に立って考えている)

3.「2ヶ所にお店を出店したけど、もうこれ以上広げる
つもりは無い」とはっきり言っている。

(自分の得意分野とキャパシティを知っている)

4.類稀な能力を持ったバーテンダーとコックに、
「他の従業員にはちょっと言えないような額を払ってる」と言っている。

(数多の同業者に対する競争力は何か?を理解している)

5.最初の資金は、奥さんの父親から借りたが、利子をつけて返した後は借金を考えていない。

(必要以上のリスクを負わない)

6.8年もの間、自分に合わない仕事をした後だから、こんな仕事ができて幸せだと言っている。

(元の環境に戻りたくないという、反骨心を身につけている)
加えて主人公は非社交的で、慎重な性格。
野心的でも無ければ、投資などの不労所得も嫌う。
そんな性格の経営者だから、上記のような経営方針とマッチしているんですね。
社交的で大胆さを持ち合わせていれば、新しい事業の種を拾い、再投資し、多角化、多店舗展開にリスクを負って挑戦するでしょう。
以上、書評になってませんが、久々に書評でした。いい本です。
posted by da-i at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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