2006年11月12日

寿司。熱燗。味噌スープ。

サウジのプリンスとマイクロソフトのビルゲイツが一緒になってフォーシーズンズに買収案を提示して株価が30%程値上がりしたのは最近の話だ。
結局プリンスは側近80人を連れて年末から年明けまでフォーシーズンズウィスラーに滞在することになったらしい。
そしてビルゲイツもドロップインするだろうという話を聞いた。

そんなフォーシーズンズとも今週でお別れかと思いきや、“週末忙しいからもうちょっといて”と言われて最終日は来週になった。
しっかり最後までコキ使われて、8連勤の刑に処せられている。
1ヶ月ほど前からスーパーバイザーに就任したアルバートは、“もうちょっと働けばもうちょっと小遣いが増えるじゃないか”とお金をちらつかせて頼んでくるあたり私の扱い方を完全に理解したようだ。
しかしそれも今回が最後だ。
どんなシチュエーションであろうとも絶対に“お金のためには働かない”と決めているので、自分の信条を曲げないためにもこの職場を去る必要があったのだ。

そして、ホテルマネージャーやレストランマネージャーと道ですれ違うたびに“聞いたぞ。なぜ辞めるんだ?”と詰められている。
昨日はレストランマネージャーに呼び出され別室で個人面談をした。
“どうして辞めるんだ?”“次に何をするのか決まってるのか?”“次もどこかのホテルで働くのか?”“何か職場で問題があったわけじゃないよな?”、というような質問攻めにあった。

とっさに思い浮かんだ“人生は短い。私にはまだやらなければいけないことが山ほどある。”というフレーズを連呼しながらこれまでの感謝の意を伝えたところ、“また働きたくなったらいつでもオレに知らせてくれ。いい仕事をしてくれて感謝している。”というようなことを言われ友好的に話し合いは終わった。

“辞めるときは綺麗に辞めろ”というSatoshiさんの助言をしっかり守ることができてよかった。
それに、悪口なども散々言ってきたが、実際その何倍もホテルに対して感謝の気持ちのほうが大きいことに最後は気付けてよかった。


 先日は、フロントで働いている細井さんとその奥さんとご飯を食べに行ってきた。
SushiVillegeというお店で、中に入ると“必勝”と書かれた鉢巻をした人たちが寿司を握っていた。
寿司を握ることに対して必勝というのはどういうことで、彼らが何に勝たなければいけないのかよくわからなかったが、寿司はおいしかった。
中でも“マンゴーキャタピラーロール”という何だか強そうな名前を付けられた寿司は、細井さんの奥さんお勧めの一品で、意外にもおいしくて驚いた。
“キャタピラーロール”と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは、70年代に活躍した天才キーボーディスト“キースエマーソン”率いる“エマーソンレイク&パーマー”のアルバム名で、アルマジロと戦車が合体したような仮想の怪獣の名前“タルカス”だったが、多分私以外誰にもわからない話なので黙って食べた。
もちろん“マンゴーキャタピラーロール”は“タルカス”とは全く異なったものだった。

 調子に乗って3人で熱燗をのんだ。
“お酒なんか飲まないでみんな水を飲めばいいのに”といつも言っているノンアルコール派の私だが、実は熱燗は好きなのだ。
甘エビや、トロや、生牡蠣や、揚げ出し豆腐やらを食べながら熱燗を飲むというのは、本当に贅沢なことだと思った。

 細井さんの話をいろいろ聞かせてもらった。

 スキーが好きで、高校のときにバンクーバーに行こうと決めて、英語の塾に通い始めた。
そんなに行きたいなら3週間だけ試しに行ってきたら、と塾の先生に薦められてバンクーバーに出掛けた。
空港に着いて、“あ、日本語が通じない”と気付いた。
泊まるところも何もわからない。
座ってボーッとしてたら髭を生やしたおじさんが近づいてきて、安いとこがあるから一緒に来ないかと言う。
その人について行くしかしょうがないから一緒に安宿へ行く。
一夜明けたら高熱を出していることに気付いて、それから3日間寝込む。
するとあの日本人の少年はずっと寝たきりだけど大丈夫か、ということになってまわりの人たちがパーティーを開いてくれた。
そこで出会った日本人の人がバンフに行くというので一緒について行く。
夏のバンフで何もすることがないので毎日そのへんをふらふらして過ごす。

 というような天然ボケ満載の話で、やはり最後は“意外と生きていけるもんよ”という海外移住者お決まりのフレーズで締めくくられた。

 彼がなぜウィスラーにいるのかというと、やっぱりスキーが好きだからで、ウィスラーに住み続ける人というのは必然的にスキーが好きな人に限られてくるんだなとわかった。
私のいるところではないのである。

 細井さん夫妻は本当に仲が良かった。
同じ日本人夫婦でも海外に住んでいる夫婦はやけに仲が良いように見えるのは気のせいだろうか。
以前バンクーバーで小さな飲食店をを始めたばかりという日本人の夫婦に出会ったことがあったが、その夫婦も本当に仲が良さそうだった。
異国の地で支えあって生きている、という共通のテーマが夫婦の絆を強めているのだろうか。
あくまで支え合っているのであって、頼り合っているわけではないことが大事なことのような気がした。
成田離婚というのは、頼り合った夫婦を象徴していると思う。


 ホテルに戻った私は、寿司、熱燗とくればもう一つ何かが足りないと感じた。
それは“味噌スープ”だった。
これがJapanese冬の3種の神器なのだ。

 ちなみに調子に乗って蟹も食べた。
実は私は“蟹アレルギー”の持ち主で、小学生のとき、“かに道楽”で蟹を食べるといつもその晩体中に赤い斑点ができることから今までずっと控えていた。
しかし今回は大丈夫だった。
蟹が食べれるようになったことはカナダでの大きな収穫の一つに値すると思った。

 


ж この前の中谷彰宏日記は2日続けて印象深かった。

「書くことが、なくならないんですか?」
という百万回の質問に、百万回でもお答えします。
書くことは、なくなりません。
むしろ、書きたいことは、毎日、積み残しが発生しています。
毎日書いていることが、本にならずに、
どんどん増えていっている状態です。
本になっているのは、毎日、書いている量のごく一部です。
なぜ、本になる以上の原稿を書いているか。
理由は、3つあります。

(1) 書きたいことが、山のようにあるから。
(2) 今日、書いておかないと、明日はまた書きたいことがわいてくるので、
  明日に回せないから。
(3) いつか、半端じゃあないほど、大量にコンテンツが求められる日が来るから。
  その日が来ても、こたえられるように。

そして、補足すれば、(4) 書くことが、楽しいからです。


僕の1冊目の本が出てから、18年になります。
独身時代、中谷本を読んで、結婚して、ママになって、
その子供が、成長して、やがて中谷本を読めるように
なってきました。
妹の子供も、ようやく、僕の本が読める年齢になりました。
明日香ちゃんは、今、予備校に通っています。
「大学に通ったら、いい女になりたいので、
いい女になれる本をちょうだい」
なかなか、見所があります。
街頭アンケートで、主婦と間違えられたという
予備校生です。
父親が上京する時に、一緒に、ごはんを食べます。
この間、メールが来ました。
「おじちゃん(ぼくのことです)が、ただのお金持ちではないことが、
わかってきました」
明日香ちゃんが、僕の本が読める年齢になってくれて、
しかも、読んでもらえて、僕はうれしいです。

(11月8日、9日の中谷彰宏日記より)


 ただのお金持ちと、そうじゃないお金持ちの違いは何だろうと考えさせられた。
 キーワードはやっぱり“充実した仕事”にあるんじゃないかと思った。


ж “TomWaits”“TomWaits”と騒いでいたら、偶然テレビでライブムービーが放送されていてじっくり見てしまった。
 カナダって素敵。
 次はどこかの放送局で“キースジャレット”のインプロビゼーションでもやってくれないかなと願っている。



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2006年11月05日

下山。

第1パラグラフでは、まず自分の決意を表明すること。
そして、希望の日にちがあるようなら記しておくこと。
 第2パラグラフでは、これまでの感謝の気持ちを記すこと。
 第3パラグラフでは、必要であればまだ猶予期間中はいくらでもアシストできることを記すこと。
 最後は忘れず署名すること。

 というのが英文退職届の書き方らしい。


 ウィスラー生活を終了させることに決めた。
先週、辞表を出したところ、確かに受け取ったがまだもう2週間は働いてもらうぞと言われ、残りのウィスラー生活をどうやったらしっかり過ごせられるのか考えている。

この一週間は珍しくかなり悩んでしまった。
そして人に相談などしてしまった。
ウィスラーで頼りになる人、といえばSatoshiさんしかいなかった。


「一回うち見に来るか?」と言われたので、のこのことついて行った。
日本茶を飲みながら、2〜3時間も時間をもらっていろんなアドバイスをしてもらった。
彼がカナダに来た25年前の話や、起業当初の話や、子供の教育の話や、もちろん人生論やら。
お前新聞記者みたいだな、と言われながらひたすら彼の話をメモした。

「お金儲けだけじゃなくて、残りの人生をしっかり生きたい。」とすがすがしい顔で言っていた。
「成功したいよなぁ。オレもまだもっと成功したい。」と少年のような目で言っていた。

「もしウィスラーで別の仕事がしたいのであれば紹介状書いてやるぞ。オレの紹介状なら100%通るぞ。」というようなことを言われたが、ウィスラーに住み続ける気持ちはもうなかった。

「チャンスはみんな平等にくる。気付かない人もいる。気付いたならしっかりつかまないとあとになって絶対後悔する。」
「必要じゃなかったら英語なんて絶対伸びない。」
「迷ったら勇気を出して一歩前へ出ると、うまくいくことが多い。」
「何やっても死ぬことはないから大丈夫だ。」

というような言葉の数々が最終的に私の背中を押した。

Satoshiさんには大事な一人息子がいて彼は来年からUBCに通うので家を出る。
「もう子供が離れるからオレはまたフリーだ。今度はバンクーバーかどこかで自分のビジネスまたやるぞ。」と言っていた。
なぜ彼がホテルで皿洗いなんかしているのかその理由がやっとわかった。
それは子供と過ごす時間を十分にとるためだったのだ。
朝のシフト以外は働かない、月〜金曜まで働いて土、日は休みじゃないとすぐ辞めるぞ、という条件をホテルにのませて彼は働いている。
あくまで自分のペースで生きていて、そういう生き方をしている人に私は会ったことがなかった。


子供を見ていて学ぶことがある、という話がおもしろかったので記しておく。
子供同士がみんなで遊んでいてもいろんな子がいて、この子は大物になるなという子はちゃんとこの時期からリーダーシップを発揮しているらしい。
一人ぽつんとしている子がいれば、近くに行って「〜君、そんなとこにいないで一緒に遊ぼうよ。」と誘う。
みんなでご飯を食べていても「〜君、自分の好きなものだけじゃなくて野菜もちゃんと食べないとダメだよ。」と叱る。
そういう子はみんなでどこかへ遊びに行くから一緒に行かないか、みたいな誘いの電話も頻繁にかけてくる。
そして、そういう子はなぜそういう子になりうるのかというと、その子の親がそういう人だかららしい。
要はリッチな親の子はリッチな親の習慣を子供の頃から自然に身につけるという。
「教育は大事だぞ。お前も親になればわかる。」と言われて、今の私に子供ができたら、とてつもなく性格の捻じ曲がった精神破綻者のような子供になるんじゃないかと想像してしまい、とりあえず自分が生きていくのに精一杯でいいやと思った。

Satoshiさんには本当にお世話になった。
彼から得たものは大きかった。


思えば隣の部屋に住み、同じ職場で働いているAlexとJung-hoにもお世話になった。

Jung-hoは明日ホテル内のスタッフアコモデーションから引っ越していく。
新しいアパートメントはバスで20分ほどかかるらしい。
家賃も安くはない。
来年の夏までここで働くらしい。

 Alexはスタッフアコモデーションに残り、1月までここで働く。
彼はビザが1月までなので、何とか延長させてカナダにもっと滞在することを望んでいる。
ビザ延長が不可能ならおとなしくロシアに帰るらしい。


 私の場合、Jung-hoのようにどこかアパートメントに引っ越して働き続けることも可能だった。
また、Alexのように雇用契約を1月までにしてホテル内のスタッフアコモデーションに残ることも可能だった。


 私はそのどちらもイヤだった。

 そして悩んだ末に辞表を出した。


 
 さあ、次はどこで何をしようか。。。



ж ウィスラーはもう雪の季節になった。
  雪を見ると「TomWaits」の曲が無性に聴きたくなる。

  “I Hope That I Don't Fall In Love with You”
  “The Piano Has Been Drinking”
  “Innocent When You Dream”
  “Ol' 55”
  “Warm Beer And Cold Women”
  “Georgia Lee”
  
 などなど。
  
 「Smoke」という映画を見たことがある人はいるだろうか。
 映画の最後に“Innocent When You Dream”が流れる。
 2時間くらいの映画で内容はまったく覚えていない。
 というか友人宅で見ていて映画開始直後にあまりの退屈さに他事をしていたので本編は全く見ていない。

 1時間50分後にエンドロールが始まって、ある男が目の見えないおばあちゃんの家に訪れる白黒映像が流れる。
 おばあちゃんには多分長い間離れ離れになっている息子がいるんだろう。
 おばあちゃんはその男が自分の息子だと思い込んで温かく家に迎え入れる。
 男は戸惑いながらも家に入る。
 料理などを用意し、おばあちゃんは息子との思い出話などを語っている。
 息子との再会の感動のあまり泣きながら話をしているおばあちゃんのために、男は息子のふりをし続ける。
 おばあさちゃんがベッドに入っても傍に付き添って、おばあちゃんが起きている間はずっと息子のふりをし続ける。
 おばあちゃんが幸せいっぱいの中で寝たのを確認すると、男はそっと去っていく。

 ただこれだけの5分くらいの映像。
 そして“Innocent When You Dream”という曲。

 なぜかわからないが、ここだけで私は泣いてしまう。
 レンタルビデオで借りて何回もこのエンドロールだけを見続けた。
 見た回数分だけ泣いてしまう。
  
 そんな印象的な映画「Smoke」。
 よかったら見てみてください。
 本編の内容は見てないので全くわかりませんが。。。

posted by da-i at 10:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

フレキシブルにサバイバル

 さて、ウィスラー生活もすでに3ヶ月が過ぎた。
3ヶ月前と変わったことは何だろうか。

 銀行残高が増えたこと。
食生活が充実しているので健康状態が良くなったこと。
仕事を教えてもらう立場から教える立場になったこと。
肉体労働で筋力がアップしたと思いきや、途中から要領を得てしまい元に戻ったこと(要は変化なし)。
寒くなって今まで以上に外に出るのが億劫になったこと。
外が寒いのに対して室内が暖かいので惰眠を貪るようになったこと。

 そういうことももちろん変化といえば変化だが、ウィスラーは日本人や韓国人が増えてきたというのが大きな変化だ。
その多くがスキーやらスノボをしながらウィスラーで働きたいという人たちなんだろう。
 ウィスラーの雇用状況がどうかというと、新聞の記事にもなるくらいとにかく働く人が足りないらしい。
これはウィスラーの景気がいいということではなくて、ウィスラーに来る人の数自体が減っているらしい。
人が来ないから景気はもちろん悪くて、人が来ないということは働く人さえ見つからない、という状態。

 関連して、社員食堂でジョブインタビューをしている人をよく見かけるようになった。
 そこで一人の日本人女性に出会った。

 彼女は以前ワーホリでカナダに来てホテル系の学校へ行き、ウィスラーフォーシーズンズ創業時に働いていたことがあったらしく、今回こっちで結婚してそろそろ何か仕事をしようと思ってまた面接に来たという。
小一時間いろんなことを教えてもらったが、印象深かったのが「大丈夫、生きてけるから。」と何度も言っていたことである。
例えば、「そろそろウィスラーじゃなくて他の都市に行こうかと考えているんですけど、この時期にどこかおすすめの場所はありますか?」と聞くと、「そうね、スキーもスノボもしないんだったらウィスラーにいちゃダメよ。でも冬のカナダってどこいっても景色一緒だからね。雪と植物しか視界にないじゃない。スキーしないのは厳しいわね。冬のカナダにいちゃいけないわ。そうだ、イエローナイフなんてどう?あそこはもう氷の世界だからスキーとかのレベルじゃないしいいんじゃない。これからオーロラで観光の仕事もあるだろうし。」と言っていて、「イエローナイフってバカみたいに寒いところですよね。」というと、「大丈夫よ、友達が数ヶ月イエローナイフにいたけど生きてたから。」という具合だった。
「寒いのはちょっと。。。」と言うと、「バンクーバー島なんてどう?」と言われて、「あんまり田舎も。。。」と私が言い、「あそこは私も住んでたけど大丈夫、生きていけた。」と結局最後は生きていけるかいけないかの話になるわけです。

  日本から海外に移住する女性というのは生活できるか生活できないかではなくて、生きていけるか生きていけないかというもっと原始的なレベルにプライオリティを置いてサバイバルを楽しんでいる人なのだと知ったのでした。


 話は変わって、昨夜は日本についてよく語った。

 ある国ではアルコール中毒が社会問題になっていて、仕事などもちろんせず、あり金が尽きるまで酒を飲み続け、その後テレビや冷蔵庫や家具なども売り払って酒を買って飲み続ける人たちがカントリーサイドにいて問題になっているらしい。
 近年政府が出生率を上げるために2人目以降の子供が生まれたら援助金を支給する政策を発表したが、彼はこれがまた問題を悪化させるんじゃないかと心配している。
 要は、アル中の親が子供を作っては援助金をもらい、お金だけ手に入れたら子供を捨てるというのを繰り返すだろうと。

 で、社会問題なら日本も負けてないぞと思ったので高齢化社会から日本人の国民性までわかりやすく説明した(つもり)。


Q 日本の問題って何だ?

A 日本は深刻な問題を抱えている。
高齢者ばかりが増えてしまって労働者がいないのだ。

Q 子供を作ればいいじゃないか。

A 日本の若者は子供を作りたがらない。
金がかかるからだ。
子供に金をかけるよりも、自分のために使いたいと思う人が増えている。

Q 政府が援助金を出して出生率を上げればいいじゃないか。

A 無理だ。
日本政府は深刻な財政赤字だ。
まず何よりも高齢者の社会保障に大金を費やさないといけない。
それから公共事業にも大金をいまだに費やしている。
これは必要のないものだと誰もが知っているのにだ。
若者のための費用は残ってないわけだ。

Q じゃあ外国人労働者を大量に雇えばいいじゃないか。

A それも難しい。
日本政府は外国人を受け入れたがらない。

Q それは差別じゃないか。

A その通りだ。
完全な差別だ。
日本は閉鎖的な社会なんだ。
それは多分日本が島国だからじゃないかと思う。
外側からの進入に対してヒステリックなわけだ。
自分たち以外のものが怖くてしょうがないんだ。
第二次世界大戦で日本が負けたときも原爆で終了だった。
日本国内には実際侵攻されていない。
もしこれが日本じゃなかったら原爆であきらめないで、本土決戦までもち込まれてもまだ戦い続けたはずだ。
そして神風だ。
もう日本はあまりの怖さに正気を失って自殺行為に走ったわけだ。
しかも神風を命じられたのは10代の若者だ。

Q 日本政府は若者を大事にしない政策をとっているのか。
若者が嫌いなのか。

A そうかもしれない。
政治政策を作ってるのは年をとった連中だからだ。
自分たちには害が及ばないような仕組みになっている。

Q それは確かに深刻な問題だ。

A その通りだ。


 というような話をしていてものすごい閉塞感におそわれた。
決して日本を危ぶんでいるわけではない。
日本がどうなろうと私はどうでもいい。
ただ景気の回復や雇用の回復は日本を覆う閉塞感とは無関係なような気がした。


そして話は日本文化にまで及んだ。


 柔道というのは素晴らしい日本文化じゃないか。
柔道の「道」は「ウェイ」という意味だろ。
「柔」というのは何だっけな。
そうだ「フレキシビリティ」だ。
冬の大木の話を聞いたことがある。
柔軟性がなければ冬の大木は雪の重さでつぶれてしまう。
フレキシビリティがあるから雪を受け止めて生き続けるんだろ。
日本人はフレキシブルな人種じゃないのか。

 と言われて、文化が世界に広がるためにはフレキシビリティが必要だという当たり前のことが改めてわかった。
柔道にはフレキシビリティがあった。
相撲をはじめ伝統古典芸能にはフレキシビリティがない。

 そして、寿司はフレキシビリティを偶然にも備えたすばらしい日本文化だとわかった。
もし寿司というのが一つのメニューに固定されていたら寿司が世界に広がることはなかっただろう。
具材が何であろうとお米と海苔で包んでしまえばすべて寿司になると海外の人は考えた。
文化とはあくまで方法論や考え方であって、カリフォルニアロールやBCロールはフレキシブルな日本文化を象徴していると思った。


 もちろんこういった会話が英語でスムーズに伝えられるわけもなく、しどろもどろになりながらブロークンイングリッシュをさらにブロークンにしたような英語もどきで必死に伝えたに過ぎない。

 よくわからないが、語学というのは「伝えたい」という気持ちと「知りたい」という気持ちがあって初めて先に進むんじゃないかと悟ったのでした。


ж 困った。来月から住む家がない。。。
posted by da-i at 04:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

最近できた新しい趣味。

 またバンクーバーに遊びに行ってきた。
目的は一つで、髪を切ること。
とにかく「普通の髪型」にしたかった。
この2ヶ月は誰に会っても「切る前の方がよかった。」という本当に正直な意見を言われ、そのたびに心の奥では傷付き、というのは嘘で、そんな歯に衣着せぬ友人たちが多分私は大好きです。

 で、いつものようにバンクーバーの専属美容師Chikaさんに今回もお世話になった。

 来月の初めにはバンクーバーを離れて、少し旅行をしたあと、日本に帰ってしまうことがわかり、当分切らなくても大丈夫なようにショートにしてもらった(ちなみに写真はとまこさんのMixiに掲載許可しました)。
こんなに短くするのは小学生以来かもしれない。
私の人生の第一次モテ期だった小5の再来を期待してしまいそうになりながら、カット終了後に「これでもう会うのも最後になりますね。こうして出会ったのも何かの縁なので。。。」みたいな男として最低な誘い文句で夕食に誘い、いろいろ話を聞かせてもらった。
海外で出張美容師をするということがどういうことなのか知りたかったのだ。
最近できた私の新しい趣味とは、「人の話を聞くこと」なのだ。

 Chikaさんのカナダ滞在は1年2ヶ月。
JPCanadaに出張美容師で書き込みをするところから始めて、最終的には月に80人くらい(1日最高8人)のお客さんを切るようになったカリスマ美容師です。
一見、ものすごく謙虚な姿勢で淡々と仕事をしている、という印象だが、その裏には美容師のみが知る「苦しみ」のようなものがあることを私は教えてもらった。

 初めてのお客さんももちろん緊張するけど、2回目3回目とリピーターになってくださったお客さんは回が増すごとに緊張します。
1回目で満足してくれた方は、2回目はもっと高い満足度を求めてくる。2回目でまた満足してくれた方は、3回目はまたさらに高い満足度を求めてきて、私はお客さんの要求するレベルをいつも満たさないといけないからプレッシャーがものすごいんです。
リピーターのお客さんの予約が入るたびに本当は胃が痛くなるんです。
どこかでボロが出るんじゃないかと毎回ビクビクしてます。

と言っていた。

 私が日本で営業の仕事をしていたときは、初めて会うお客さんが一番緊張した。
でも1回会ってしまえばあとは何回会おうが1回目の緊張を超えることはなかった。
しかし、これは間違いだったことがChikaさんの話を聞いてわかった。
そういうプレッシャーと影で戦っていたからこそどんどんお客さんが彼女についていったのだ。
ご飯を食べにダウンタウンを一緒に歩いているときも、「あの人私のお客さんかもしれない。あ、似てるけど違った。」と視線がうろうろしていて、「道でお客さんに会ったときどうしていいかわからなくなるんですよ。カットのときは愛想がいいけど道であったら無視された、みたいに言われるのも怖いですし。」と言っていて、実際見つけたときはしっかり挨拶をしに行っていた。

 日本人以外のお客さんからの予約も週に数件入るんですけど、このプレッシャーがホントにつらかった。
最初は簡単な英会話で済むんだけど、回を増すごとにだんだん話の内容が深くなっていくのが自然じゃないですか。
一生懸命会話についていかないといけないから途中で手が止まってしまったりしてカットどころじゃなくなってくるんです。
黙って切るのも変じゃないですか。
考えれば考えるほど自分がどこをどう切っているのかがわからなくなるくらい緊張する。
これもまた胃が痛くなるんですよ。

と言っていた。

 彼女は日本人以外のお客さんとしっかりコミュニケーションをとれるようにするために、途中でチューターを雇って英語の勉強を始めたそうだ。
英語が必要だから英語を勉強する。
英語の勉強というのは本来こういうものなのではないかと私は思った。


 お客さんと話をするときは、お客さんの意見が絶対なんです。
お客さんの意見にちょっとおかしいなと思うことがあっても、絶対に反論しない。
自分の考えをお客さんの考えの側に追いやって、自分をお客さんの側にもっていくんです。
自分の意見はお客さんの意見と同じだと自分を信じ込ませる。
自分を洗脳して追いやるんです。

 みたいなことを言っていて、さすがにやりすぎではないかと思ったが、これが彼女のやり方で、ここまで徹底していたのかと驚いた。
お客さんと美容師の関係は、昔の妻と夫の関係なのだ。
昔の妻は夫の言うことに従い、半歩後ろを歩き、家庭内における父権を守り続けていた。
もうそんな女性は白黒テレビと共に絶滅してしまった。
一時期、「タメ口」でお客さんに話をするショップの店員がたくさんいたが、あの人たちはどこへ行ってしまったんだろう。
当たり前だが、フレンドリーなだけではモノは売れないのである。
信頼を得るとはそういうことではない。

 私は以前JPCanadaの彼女のスレッドを見て驚いたことがある。
100以上書き込みがあるのに悪口や荒らしが全くないのだ。

 ホントに毎回JPCanadaを見るたびに怖かった。
いつか何か書かれるんじゃないかと思って。
100までいっただけで私は幸せです。
結局最後は叩かれちゃいましたけど。。。

 最終的に彼女はJPCanadaの広告掲載を終了させた。
予約の数が莫大な数になってしまい対応できなくなってしまったからだ。
その数何と1日20件。
彼女はパソコンを持っていなかったので、メールチェックが頻繁に出来ず、お客さんへの返信が滞ってしまったのだ。
そして予約のメールを送ったお客さんから苦情をうけてしまった。

 毎回メールの返信をするときもどんな文章がいいかいつも悩むんです。
最後の広告掲載終了の文章なんかは、5行くらいの文章なんだけど友達に相談したりして2〜3時間はかかった。

 みたいなことを言っていて、そういうのはとても彼女らしい。
これでお客さんから信頼されないわけがない。

 日本帰国に関しては、「やっと決心ができたんです。」と彼女は言った。
彼女のバンクーバーでの1年2ヶ月は、この一言が言えるようになるための1年2ヶ月だったのだ。
彼女は一度辞めた美容師をまた続けていくことを決心したのだ。
私にはこれしかない、と。

 今の時代、男よりも女の方が決断する機会が多い、というようなことを聞いたことがある。
それは本当だと思う。
なぜなら男はいつまでたっても社会性から自由になれないからだ。
理由は簡単で、本当はその不自由な社会性に守られて生きていて、本音では自由になろうなんてこれっぽっちも思っていないからだ。
女はリスクを負って社会性から自由になろうとしている。
男が女にかなうわけがないのだ。

 いつになるかはわからないが、日本に帰ったらまた彼女に髪を切ってもらおうと私は決めた。
そのときまでしっかり髪を伸ばしておこう。
最近夢中だと言っていたヒップホップダンスも今度はちゃんと見せてもらうのだ。


ж 帰国するにあたって、やっぱり私は前の仕事が好きだとわかった、みたいなことを言う人が本当に多い。
それに対して私はそんなことを全く思ったことがない。
「その仕事が好き」とはどういうことなのか最近よく考える。
別れたあとに「やっぱり私はあの人のことが好きだとわかったの」というときの「好き」と「やっぱりあの仕事が好き」というときの「好き」は同じものなのだろうか。

 ナイチンゲールの話を友人から聞いた。
ナイチンゲールは戦場で負傷し生死を彷徨っている人たちから「あなたがいなければ私は死ぬ」という極限の頼られかたをし、「私がいないと彼らは死んでしまい、私は彼らから必要とされている存在なのだ」という極限の充実感を看護の仕事を通して得ていた、という話。

 もしナイチンゲールの上司がイヤな奴で、ナイチンゲールに「看護婦はたくさんいる。お前がいなくても変わりはいくらでもいるんだ。」みたいなことを言っても、ナイチンゲールは看護婦を続けただろうか。
 もしナイチンゲールの担当する患者がイヤな奴で、看護してもらって当たり前、みたいな態度をとる奴ばかりでもナイチンゲールは充実感を得られるのだろうか。
 やっぱり私は看護婦の仕事が好きだと思えるのだろうか。


ж 村上龍の新刊がとても読みたいです。

タイトル − 「わたしは甘えているのでしょうか?」

 この世の中はどこまでもお金持ちに有利になっているのでしょうか?と誰かに聞 かれたら、あなたはどう答えるだろうか。そんな質問は、わたしが子どものころ は表 だっては存在しなかった。貧富の差は昔からあったが、高度成長のころは日本全体が急激に豊かになっていったので、一億総中流という言葉に象徴される「一体感」 によって、不安や不満や羨望や嫉妬や怨嗟の声は目立たなかった。現代は違う。無視できない数の人びとが、経済的格差による生きにくさを感じている。日本社会が成熟したことによって経済的格差が発見され、唐突に姿を現したのだ。 しかも、経済力以外にどういう価値観があるのか、経済的に恵まれない人はどう 生きればいいのかを社会は示そうとしていない。マスコミに登場する識者がおもに語 るの は政治・外交・経済などいわゆる天下国家についてで、多くの個人が抱える「バカバカしくも切実な悩み」は無視されているように見える。天下国家を語るのは重要だが、天下国家を下支えしているのは無名の「個人」であり、その多くが毎月の生活費や職場での人間関係や就職・転職などでトラブルや悩みを抱えているのである。この本は、そういった「バカバカしくも切実な悩み」の相談と回答を集めたものだ。回答を示すのは簡単ではなかった。自分の情報と知識と想像力を総動員して答えなければならなかった。できるだけ優しく対応したつもりだが、現実と反することを言って慰めたり、不毛な精神論でごまかして叱咤激励したり、非合理な楽観論で甘やかしたりするのは徹底して避けた。悩みやトラブルへの対処は、まず現実を直視することから始まる。そこにはさまざまな不公平や矛盾があるが、とりあえず最初の一歩を踏み出すためには、もっとも深いところで自分自身を肯定することが必要だ。そういった過程では、「元気に頑張る」よりも「とりあえず生き抜く」という価値観がより重要になるのではないかと思う。

村上龍 はじめにより


ж あと「GooGooDolls」が11月にバンクーバーでライブをやるそうなんですが、誰か詳しい情報知らないですか(最近の曲はイマイチだけど。。。)?


posted by da-i at 05:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

Crazy, over the rainbow, I am Crazy♪」


 風邪をひいてしまった。
熱いのか寒いのかよくわからない気候に体が対応できなかったらしい。
風邪をひいて寝ているときにいつも思うのは、どうして体が弱っているときというのは、なぜか頭が良く働いて昔の思い出やら古い記憶がよみがえってくるんだろうということ。

 繊細なセンスをもつ芸術家などは、少しの変化にも過剰に敏感なため、病弱な人が多かったり、すぐ風邪を引く人が多いと聞いたことがあるけど、考えてみればそういう人たちで幸せな人生を送った例はあまりなく、とにかく苦しい毎日を送っているうちに精神を病んだりして、最悪の場合自殺してしまったりするので、体が丈夫なのにこしたことはなくて、要は風邪など引いているうちはまだまだなのだ。

 鼻水が出て、喉が痛くて、でも咳はでない、という典型的な風邪の初期症状だったので、寝れば治るだろうと思っていたけど、朝起きたらひどくなっていて、しょうがないから何もしないよりはましだと思って、手持ちの正露丸糖衣Aを「病は気からというじゃないか。薬も気からなのだ。だからこれは風邪薬だ。これは風邪薬だ。これは風邪薬だ。。。」と自分の脳をだましながら1日飲んでみたけどやっぱりなおらなくて、結局風邪薬を人からもらって回復しつつあるところです(Shinoさんありがとう。それから名前を聞くのを忘れたけど元ナースの方もありがとう。薬が効いたのは多分あなたの的確な処方箋のおかげです。薬の中にセフアレキシンが含まれているとアレルギー反応起こすんですけど大丈夫ですか、と聞いたときに、それは抗生物質でこの薬には入ってないから大丈夫よ、とやさしく諭してくれたあなたは完全にナースでした)。

 
と、天使のように優しいのが日本人女性の特徴ですが、この前みんなで話してて、どこどこで働いている日本人の女性がHotだ、みたいなことをみんな口々に言っていて、「日本語が喋れる日本人のオレが羨ましいだろう」と私は口では言いながら何か淋しさを感じた。
 この淋しさは何だろうと考えたら、日本企業が外資に買われる淋しさと同じじゃないかと思った。
 日本人女性は可愛い、みたいなことを言われるたびに淋しい気持ちになる。
 日本のあの会社はお買い得だと言われている気分になる。
 素晴らしい女性を日本人以外の男にもっていかれるのは、トヨタ自動車やNECが買収されるのと同じくらい淋しい。
 日本の大事な資産を奪われているのである。
 反対に、日本人の男は外資に相手にもされず淋しいを通り越して哀れで無力な域に達している。
 世界から置き去りにされているのである。

 そういうことを考えていたら、何もする気が起きなくなったので、「PinkFloyd」の「TheWall」のプロモーションムービー(1時間半くらいあって、アルバム「TheWall」のすべての曲で1本の映画がつくられた大作)をひたすら繰り返し見ていて、戦死者やら独裁者やら愚かな大衆やら神経衰弱者やら奇妙な化け物のアニメーションと憂鬱な音楽やらに侵され、1日中「Crazy, over the rainbow, I am Crazy♪」という最後の大合唱が頭から離れない病に今度はかかったのでした。
 

 話は変わって、一昨日は仕事に行くと、「ミーティングがあるから言ってこい。」と言われて、「何ですかミーティングって?」と聞いたら「マネージャーミーティングだ。」と言われて、突然マネージャーミーティングに参加する機会を与えられた。
 「あの突き当りの部屋だ。」と言われて、「ところで何をすればいいんですか?」と聞いたら、「何か聞かれるから何か答えればいいんだ。」という人をバカにしたような最高にシンプルでありがたい助言をいただいてミーティングに挑んだ。
 会議は総勢15名ほどで、全デパートメントから一名ずつ主席して問題がないか話し合う、といった内容だった。
 うちのデパートメントに関しては、先月フロアが水で濡れていたために、1本数十万円するワインを何本か抱えて運んでいたウェイトレスが転んで割れたボトルで怪我をした事件を取り上げられ、今後はフロアをクリーンでドライな状態に保って、モップをかけた後は「滑りやすいので注意。」という看板を立てておきます、ということで問題なく済んだ。

 一番盛り上がった話題は、サウジアラビアのプリンスの話だった。
 サウジアラビアのプリンスが今年の12月から来年の1月にかけてこのホテルに泊まりたいと予約をいれてきたらしいのだが、プリンスなだけに一人で泊まりに来るわけがなく、60〜70人くらい連れていきたいと言ってきたらしく、「勘弁してくださいよプリンス、さすがにこの時期になって年末年始の団体予約は厳しいですわ。」ということで、「じゃあ今月来月なんかどうですか?」と聞いたら「今はバケーション中だから無理。」とわけのわからないことを言われ、「じゃあ来年の夏ごろはどうですか?」となって、夏に予約が入ったらしい。
 「プリンスがホテル内を動くときは常に十何人とお供を連れて動くから気を付けないといけないね」とか、「ウィスラーにはプリンスが夏に来て楽しめるような場所がないからどうしようかしら」とかだんだん話の趣旨がずれていって楽しかった。
 学校の授業でやるディスカッションなんかは本当におもしろくなくて、なんて意味のないことをやっているんだと思ってしまうけど、こういう仕事のミーティングは楽しいなと思った。
 やはり私は学校に通うよりも働いているほうが向いてると思った。
 ミーティングが終わったあとに、「あの真ん中に座って会議を進めていた人は一体誰だったんですか?」と隣の人に聞いたら、そんなことも知らないのかという顔で「あれがジェネラルマネージャーだ。おぼえとけよ。」と教えてもらったのでした。


ж アレックスがデイオフで今朝バンクーバーに遊びに行った。
「ガールフレンドに会うんだ。」と言っていて、「そんな話は聞いてないぞ。」というと「正式にはガールフレンドじゃない。」などとわけのわからないことを言い出して、「じゃあ誰なんだ?」と言うと、「メールはたまにしてるけど、まだ会ったことがないから知らない。」と本当にわけのわからないことを言っていた。
てっきりロシア版の出会い系サイトにでも登録していて、それでよくメールがしたいから私のパソコンをよく貸してくれとせがんだりしていたのか、カナダに英語を勉強しに来てまで頭の中は美白のロシアン美女でいっぱいの何てスケベなヤツなんだ、と勘違いしそうになったけれどもちろん違って、留学する前に留学とはどういうものなのか知りたいから実際留学している人の話を聞きたいと留学エージェントに頼んで紹介してもらって連絡先をもらった人で、それ以後も連絡を取り合っていたらしくて彼女がもうロシアに帰るというので1回会いましょうということになったらしい。
まあ根底的にはやっぱりスケベな話である。
早朝5時のグレハンに乗っていくあたり気合の入り方がいつもと全然違ったアレックスは、笑顔で帰ってくるのだろうか。
それとも。。。


ж 金曜にバンクーバーに行きます。
 私には密に会う女性などいないので、ただ髪を切るためです。
 二度とカナディアンに髪を切らせるわけにはいかない。
 この教訓は後世代々まで前島家の家訓として伝えていくつもりだ。
 Chikaさん今回もよろしく。
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2006年10月05日

ウィスラーに来たら、山頂の雪を確かめに行こう

先日のデイオフでやっと念願の山登りに出掛けた。
選んだ山は前回途中で引き返してきたBlackcombの山で、一人で登ろうと決めていた。

 個人的な衝動で、本当に見たい風景は一人で見なければいけない。
二人で行けば風景は二人に分散してしまい、三人で行けば三人に分散してしまう。
これはラジオの深夜番組と同じで、一人で夜中に聞いている時あれほどおもしろいと思ったものが、録音したものを友人達と一緒に聴くとちっともおもしろくない、というのと同じ理論なのだ。

 「じゃあ今日はこれから山でも登って山頂からの夕日でも眺めてこようかな」と午後3時頃言うと、「今から登らないと間に合わないぞ」と言われ急いで登り始めた。
というのは嘘で、まだ大丈夫だろうとしっかり食堂で腹ごしらえをして、今回は一人だからカメラが必要だな、と気付いてデジカメの代わりに使っている日本の携帯を取りにまた部屋に戻ったりしているうちにどんどん時間が経っていった。

 結局登り始めたのは4時過ぎで、肌寒くなっていた。
それでもi-podに詰め込んだB'zを聴きながら意気揚々と鼻歌を歌いながら順調なスタートを切ったのである。

 「熱き鼓動の果てに何が待っているんだろう♪」と稲葉が歌えば、そうかこの山を登りきって頂上にたどり着いたら何かが待っているわけだなと勇気が出てみたり。

 ちょっと息が切れかけた頃に、「熱いジュースふり絞る♪ぶっ倒れるまでやりきる♪」と稲葉が歌えば、そうだなたまには汗かいて何か成し遂げてみるのもいいなと元気になってみたり。

 「荒野を走れ♪どこまでも♪」と稲葉が歌えば、ちょっと時間も押してるし軽く走ってみるかと思ってみたり。

 「ねがいよ叶えいつの日か♪そうなるように生きていけ♪」と稲葉が歌えば、ねがいを叶えるためには何かねがいを持っていないとそうなるように生きていくこともできないし、叶えることもできないんだなと納得してみたり。

 2時間くらい登ってもまだ先が続いてるときに「まだイヤだ僕は帰りたくない♪」と稲葉が歌えば、ここで引き返したら男じゃないなと頑張ってみたり。

 3時間くらいかけて頂上付近の平野に出たときには、「美しき世界♪」と稲葉が歌う前に、私が「美しき世界♪」と鼻歌を歌っていた。
そこには花が咲き、川が流れ、「臨死体験の人の見た夢」のような風景が広がっていたのだ。

 頂上に着いたのは午後7時をまわっていた。
念願の夕日はというと。。。見れなかった。
間に合わなかったのだ。
最悪の場合登っている途中で見れるだろうと思っていたのも甘かった。
登山コースが山の裏側にあるので何も見えないのだ。

 そしてここから恐怖が始まる。

 振り返れば、「こんなところまで来てしまったのか。」と驚き、道なき道を見ては「こんなところをどうやって登ったんだオレは。」と驚ろき、ちょっと日が暮れてきたなと思った瞬間からまたたく間に暗くなってきて、「やたら寒いし、暗いし、帰れるのかオレは。。。」と不安になった。
 驚きと不安は恐怖を生むことを学んだのだった。

 具体的な恐怖を一つ挙げると。。。道が見えないのだ。
「あ、死ぬかも。」と本気で思った。

 大学時代にどこか遠くの湖まで高速を使わずに下の道を使って山道をひたすら走ったのを思い出した。
ひたすら山を5つくらい越えたのだ。
あのときも道なき道を「366号線366号線366号366号366号366366366366」とただそれだけを呟きながら真っ暗な山道をとにかく急いだ(錆びて傾いた366号と書かれた標識を見つけるたびにこれが途中で違う数字に変わってたら終了だなと思った)。
少し迷いながらバスについていったら行き止まりで引き返すはめになったり、山の中で突然ライトに照らされた交通事故防止のための幼子の人形の列に心臓が止まりそうになったりした(多分あの人形で驚いて事故る人多発なんじゃないだろうか)。

 そのときは、車に乗っているしライトもあった。
が、今回は車もライトもない。
おまけに歩いているとガサガサと森の中から物音が聞こえるのだ。
もちろん闇の中で何も見えない。
「熊熊熊熊熊熊熊熊熊熊熊熊熊熊。。。」という頭の中のリフレインを何とかやめさせようと必死で戦った。

 
 「FridayMidnightBlue♪帰りたいよ早く♪」と稲葉が歌えば、金曜じゃないけど本当に早く帰りたいです、とつくづく感じたり。

 「そんなに怖いんならそいつを利用してごらんよ」と稲葉が歌えば、できれば利用したいんですけどどうしたらいいですか?と問いかけてみたり。

 「近寄らないでおくれ♪もう痛いのはごめんだ♪」と稲葉が歌えば、あのガサガサいってるのが近づいてきたらやっぱり痛い目にあうのかな、とますます不安になったり。
 
 「出会い別れ土に埋もれ♪日が沈むように死んでいく♪」と稲葉が歌えば、こんなときに何て縁起でもないことを言うんだお前は、とちょっとB'zが嫌いになったり。

 NativeDanceの間奏とエンディングのあの先住民大合唱では。。。

 
 と、一人でパニックを起こしながら命からがら3時間かけて下山に成功したのだった。

 写真を撮るために持っていった日本の携帯は登ってる途中でいじってて電池がなくなってほとんど写真は取れなかったし、帰り道でライト代わりに照らしていたFidoの携帯も途中で電池がなくなるし、Fidoに関しては確かに私は金払いも悪いのでこういうときにこうやって復讐されるんだなと納得できたが、Docomoに関しては何も思い当たらないので日本に帰っても絶対に許さないぞと心に誓った。

 
 だが一つだけわかったことがある。

 ウィスラーの山の頂上に雪など残っていないのだ。

 あれはすべて白い岩である。
 
 また、山頂に山小屋のようなものが見えるかもしれない。

 それは小屋ではなくただの錆びたアンテナなのだ。
 
 ほうら、ウィスラーの山々の頂上は夏でも雪がのこってるんだぞう、などと得意気に語っている人たちは何て無知なんだろう、とうことではなくて、私は本当かどうか真実を知りたい性格で、単純に「知ること」が好きなのだ。

 「世界を知ること」の本当の意味は、世間一般に信じられていることではなく、「真実を、本当のことを知ること」なのだ。

 騙されないために私は山に登ったのである。


ж 登山家の誰かが言っていた、「頂上が見えているのにどうしても引き返さないとリスクが大きい、というとき引き返す決断をするのに一番勇気がいる。死んじゃったら意味がないから」という言葉の意味が山頂付近でちょっとわかった。
 多分私は明るいうちに途中で引き返すべきだったんだろう。


ж 仕事の話ですが、おかげ様でとりあえず2ヶ月で昇給しました。
 「どうしてオレがいろんな仕事を他の人じゃなくてお前に頼むかわかるか?信頼してるからなんだぞ。」みたいなことを面と向かって言われちょっとうれしかったのでした。
 そして現在のマネージャーは2ヶ月の出張に出掛けていった。
 戻ってくるのは12月。
 その頃まだ私はここで働いているのだろうか。
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2006年10月03日

Rich Dad in Whistler の秘密

約一ヶ月くらいバケーションを取っていた「ウィスラーの金持ち父さん」ことSatoshiさんがこの前戻ってきた。
そして彼の昼休憩時を狙って、いろいろ話を伺ってしまおうと突撃取材に成功した。

「いやもうここに来て2ヶ月経っちゃいましたよ。」と言ったら、「いつまでここで働くんだ?」と聞かれ、「英語の伸び方次第ですね。あまりに伸びないようならすぐ辞めます。」と言ったら「そりゃそうだな。この環境では難しいかもな。」みたいなことを言われて、「しっかり期限を決めて、自分の人生の5年先、10年先を見て動けよ」と言われた。

 あそこで客の荷物を運んでる人がいるだろ。あの人何年ホテルで働いてるか知ってるか?17年だぞ。17年間客の荷物を運び続けてるんだぞ。信じられるか?オレにはそんなこと絶対出来ないね。お前できるか?
 で、あそこで昼飯食ってる人いるだろ。あの人たち朝ここの食堂で食べて、昼もここで食べて、夜もここで食べて、休みの日までここで食べてるんだぞ。世界が狭いよな。そんな卑しい人たちがこのホテル仕切ってるマネージャーなんだ。どうしょうもないよな。ホテルっていうのは従業員全体の5%くらいの人たちで全部動かしていて、その下にいるマネージャー陣はああいうどうしょうもない寄生虫みたいな人たちなんだ。
 こういう人たちがウィスラーに来ちゃったから今までウィスラーに住んでいたオレの友達なんかはみんな出てっちゃったよ。新しく来る人はみんなお金儲けが目的だからな。スキーもスノボも全然知らない人たちばっかだよ。困るよな。

 みたいな毒舌もちゃんと絶好調だった。
 「あ、スキーもスノボも全然興味ないです僕。それってよく考えたらウィスラーに対する冒涜ですよね。」とはもちろん口が裂けても言えなかった。

 「まあこう見えて金の心配はとりあえずのところないからいいんだけどな」みたいなことを言っていたので、「ところで最初何で稼いだんですか?」と聞いたら、「ツアー会社を作った。」と言っていた。

 なるほど、起業して稼いでその利益を元手に不動産取得のパターンか、とやっと判明した。
 
 オレ明日社長やれって言われたら、はいわかりましたって出来るし、明日レストラン開けって言われても、はいわかりましたって出来るし、服屋やれって言われても出来るよ。それだけの経験をしてきたから。うちの嫁さんもインターネットで投資どうのこうのでちょこちょこ稼いでるみたいだし。例えば今回のバケーションで日本に行ったんだけど、デザイナーの友達がファッションショーで使った服をオレにくれるからカナダで売ってくれみたいな話もあってこれはちょっと本気で悩んだ。他にも。。。

 みたいな話を次から次へとされたとき、ああこの人にはひっくり返っても敵わないや、と思った。

 「別にもう働かなくていいんじゃないですか?」と聞いたら、「まあそうなんだけど4年位前にスキーで大怪我をしてそのリハビリで働いてるんだよね」、と言われて、「は?」となった。
 「右の鎖骨がさあ。。。」と言われて、「ああ折れちゃったんですか?」と聞いたら、「いや、折れれば全然問題ないんだけど、骨が強すぎて折れずにそのままズレてむちゃくちゃになった。で、ほっといたらそのまま治り始めて、今でもここんとこ出っぱってるんだ。」と見せてくれて、「皿洗うときに、こうスプレーを右手でもってこう動かすだろ。これがいいリハビリになるんだよ。」みたいなことを言っていて、「そういえば大学のときにサッカーをしていて簡単に鎖骨が折れて全治6ヶ月を診断され入院までしてたんですよ僕(何と左側の鎖骨が2箇所折れ、1本が3本に体内で分解されたのだ)。」とは決して口が裂けても言えなかった。

 友達はたくさん作っておいたほうがいいぞ。ウィスラーで家を自分で建てたときもいろんな人が手伝ってくれた。スキーとかが好きでウィスラーにいるやつって夏場暇じゃん。直接キャッシュでバイト代出すから手伝ってくれって言ったらすごい集まってきた。彼らも普通にそのへんで働いたら税金やら何やかんやでもってかれちゃうからさあ。もちろん反対に手伝えることがあればオレも何かしてあげるし。そういうのっていいじゃない。

 と、喋り始めると止まらない彼の向かいに座った私は、完全に魅了されてしまった。

 そして、「あ、オレそろそろ皿洗わなくちゃいけないから(笑)」と颯爽と去っていく姿に完全にやられた。

 一番思ったことは、かっこいい人というのは勢いがあるな、ということ。
話の内容がおもしろいことはもちろん、何が違うのかというと、話し方がかっこいい。
テンポがよくて、エネルギーに満ちているのだ。

いろんな話をしてもらったけど、彼の現在の状況については大体把握できたので、若い頃の話も是非聞いてみたいなと思ったのでした。
今に至る軌跡が知りたいのだ。
もちろんあまりに貴重な話であればこのブログには書かないかも(笑)
実際今回も書いてしまいたくない内容は書いてないんだけど。


ж EBCのレベル2に通っていた頃の話。
 最後のプレゼンのテーマは「InTheFuture」。
 最終的には不動産を取得してRichになる、と語った私の評価はまずまずで、コメント欄にはエリックからおしゃれな一言が。
 「あなたが早くラットレースから抜け出すのを願っている。」
 株式投資に興味をもっていたエリックは、今も休み時間に株価をチェックしているのだろうか。


ж Satoshiさんは英語を喋るときも日本語を喋っているときと同じ感覚で喋っていて、そういう自然な感覚もかっこいいなと思った。
 日本語が英語みたいで、英語が日本語みたい。
 英語を喋るときに普段と違う何かいかにもな感じになるのが他人であろうと自分自身であろうと私はどうしても好きになれない。
 多分そのせいで英語の伸びが遅いのもわかっている。
 が、しかし。。。なのである。


posted by da-i at 06:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

したいことを今しよう

ホテルで働き始めて2ヶ月が経った。
もう働き始めて2ヶ月になるのでしっかりマンネリ化の波に襲われています。

先日ホテル側から正式なアナウンスメントがあって、冬のハイシーズンの大量新規雇用につき、現在ホテル内のスタッフアコモデーションに住んでいる者は基本的に全員出て行きなさい、と宣告された。
11月までに自分で新居を探して移るように、と。
何て勝手なんだ、雇うだけ雇っておいてハイシーズンが過ぎればポイ捨てなのか、労働基準法はどうなってるんだ。。。みたいなことは全く思わず、仕事を続けるためにウィスラーに住み続けたければ移ればいいし、そうじゃなかったら仕事も辞めて別のところへ行けばいいし、というくらいにしか思わなかった。

「〜したい人は〜すればいい」という考え方は、昔から私の中にあって、多分この性格のせいで冷たい人に思われるんだろうなということもわかっている。
今回の件で言えば、働き続けたければ家を探せばいいし、そうじゃなかったら別のしたいことをすればいい、みたいなことです。
やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。
このブログの過去の日記にも大量にこんなような表現は出てきていると思う(実際ちょっと気になって調べようとしたけど、早速前回の日記で発見して、もう調べるまでもないなと思った)。
自分がどうしたいかが一番大事で、もっと言うなら、「他人は他人、自分は自分」みたいなところがあるわけです。

多分この性格は父親からの遺伝で、「イヤなら辞めろ。」みたいなことを私が小さい頃から彼はよく言っていた。
習い事なんかも始めるきっかけは与えてくれて、やめるのはお前の自由だ、とうような育て方で、多分こういう半放任主義的な育て方が子供にとっていいんじゃないかと感謝している。

イヤなことをイヤだイヤだと言いながらだらだらと続ける癖を子供のうちからつけてはいけないのである。
自分がどうしたいのかがわからない子供が育ってしまう。
そういう癖のついた大人はタチが悪い。
というか最低だ。

ありがたいことに、私の場合イヤな事をし続けていると必ず病気になるように体ができている。

「我慢は体にも良くないし、精神上にも良くない」というのが先祖代々伝わる家訓なのだ。


そんな父親から久しぶりにメールが来た。

日本を離れてから一度も家族には電話もしていなくて、メールをたまにするくらいだけど、そのたまのメールのやりとりで何か親子の絆が深まったような気がする。
よく考えたらメールのやりとりは手紙のやりとりで、面と向かっては言えないけれど、というような内容がお互い平気で書けたりするわけです。
こういう一緒にいるわけじゃないけど遠くもない、みたいな関係が私は大好きで、友人関係もくっつかず離れずみたいなのがベストだと思っている。
お互い別のことを別の場所でやっていて、一人だけど一人じゃない、みたいなのが良い。

で、その父親からのメールの内容は前回私の送ったメールの返信で、私が送った内容は、「バンクーバーのホテルに2泊できる2名様のチケットが抽選で当たったので、よかったら夫婦で遊びに来てください」という内容(実は私はこう見えて親孝行息子なのだ)。
で、父親からは信じられないくらい長いメールが返ってきた。
「バンクーバーといえば今からちょうど30年前に旅行で。。。」などと昔話から始まっていて、当時はまだ日本人も少なくてどうのこうのとか、ラーメンを頼むのに英語がわからなくて苦戦してとか(なぜラーメン。。。)、どうでもいいことがたくさん書いてあったわけです。

要は、もじもじしながらもバンクーバーに行きたいらしい。

「それを聞いてお母さんがやけに行く気満々になって。。。」みたいな人のせいにしているけど、行く気満々なのは間違いなく父親なのである。

そして「来年の5月くらいなら何とか。。。」などとしっかり話を詰めてくるのである。

イヤなことはイヤだとはっきり言うくせに、「〜したい。」というのが言えない昔の人なのである。
そういうのはかわいい。

イヤなものはイヤだとはっきり宣言して、したいことはしたいとはっきり宣言するのが家系図に基づいた私の信条なのだ。


 ただ一つ気になったのは、次期の総理が安部さんに決まってこれで日本も変わるだろう、というようなことがメールに書いてあって、無責任にそういうことを言う大人が私は大嫌いだったと思い出した。
そういうのを聞くたびに、こんな日本にした張本人が何を言っているんだといつも思う。
これで日本も変わるだろう、と言っている人たちこそが変わらないことには、いくら政治家が変わろうと同じで、要はあなたがどうしたいのか、なのである。
自分の代わりに他人に期待する癖もできればやめたほうがいいと思う。



ж この前、留学をしていて焦りのようなものはないか、と友人に聞かれた。
そのときは曖昧なことを言ったけど、「焦りのない日はない」、が私の答えだ。


posted by da-i at 06:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

一生懸命留学してます。

 最近雨がよく降ってる。
 私が留学を始めた1月のバンクーバーはこんなような天気が毎日続いていたので、それを思えばたいしたことはないけれど、やっぱり朝起きて雨が降っているともうちょっと寝ていようという気持ちになってしまって起きるだけでエネルギーが必要だ。
留学を始めた頃は連日の雨の中何をしていたのだろう。
学校が終わった後、一体みんな何をしていたのだろう。
そんなような話を友人としていて、何をしたらいいのかわからなかった、という結論になった。
雨じゃないにしても、語学学校に通っていた頃、学校が終わった後みんな何をしていたのだろう。
私は何をしたらいいのか本当にわからなかったし、まわりの人たちが何をしているのかもわからなかった。
ちょっと今日は用事があるから、などといって足早に帰っていく人たちを見て、絶対用事なんて大したことないに決まっている、と横目で眺めていた。
英語の勉強をすればいい、と頭ではわかっていても、どうやって?というような状態だった。
図書館で勉強、という選択肢なんかもあって、私もよく図書館に通ったが、今から思えば図書館で何を得たんだろうと不思議に思ってしまいます。
先生の卵が授業の練習をしてその生徒役をすると無料で授業が受けれる、というようなものがあって少しおもしろいなと思ったけど、卵なだけにそんなに質のいい授業ではなかった。
やはり卵は卵なのだ。


 で、今その頃に戻ったら学校が終わった後、何をするだろうかと考えてみた。
結論は、やっぱり何をしていいのかわからない。
ワーホリビザであれば間違いなく学校が終わったらアルバイトをして働くのが一番いいんじゃないかと思う。
私はビジタービザだったので働けなかった。
ビジタービザやスチューデントビザでバンクーバーで語学学校に通っている、という場合の学校以外の充実した留学生活というのはどういうものなのだろうか。
このニーズを満たすビジネスは有望だとずっと思っている。


 先日、デイオフを利用してバンクーバーに遊びに行ってきた(みなさまお世話になりました)。
友人がバンクーバーに帰ってくると聞いていたのでバンクーバーに行ったのに、その友人には会えず、何をしに行ったのかよくわからなかった。
ブックオフで大量に本を買っているうちにますます何をしにきているのかわからなくなったりしていた。
そしてバンクーバーの朝夜は半袖と薄いシャツとビーサンの私には過酷なほど寒かった。

 Keita邸に2泊させてもらった(本当にお世話になりました)。
ダウンタウンから遠いとか(バスが30分に一本って。。。)、シャワーの勢いが弱いとか(誰かあの穴ふさぎましょうよ。。。)、そういったことは置いておいて本当によくしてもらった(今回は宿泊費もちゃんと置いてきたのだ)。
和やかな雰囲気の夕食は、ホストファミリーの醍醐味だけど、本当に私はああいうのが苦手だなと改めてわかった。
誰もがどうしたらいいのかわからなくて、誰もが自分が本当はどうしたいのかも混沌の中でわからなくなるのだ。
プレゼントしたティムビッツの箱が和気あいあいとした食卓を伝言ゲームのようにぐるぐる回っているのを見て、置いとくから食べたい人は勝手に食べろ、という文化で育った私はくらくらと眩暈がし始めて(ティムビッツ40個じゃなくて20個にしといてよかった)、そのあと何とかという言葉遊びのゲームがどうのこうの、という話になったときに危うく病気になりそうになった。
食後に、愛想笑いが必要なときもあるよね、というようなことを言われて、「もちろん。」と答えた私は、あとになって本当にそうだろうかと少し考えてしまった。
ああいったシチュエーションでは、話題を振る役、それに対して意見を言う役、何かおもしろいことを言って笑いを提供する役、というように誰もが何らかの役割を担っていて、愛想笑いをする役というのが数ある役どころの中の一つの無難な選択肢であることは間違いがないと思った。
その役がイヤな人は別の役どころで参加すればいいだけで、自分のやりやすい役どころを見つけてしまえばいいのだと思った。

 あと、「MyBoss,MyHero」といういわゆる学園モノの日本のドラマを見た。
ドラマなんて、と思っていて見事にはまった。
全10話あるうちの第2話まで見たところで、全部見ようと思ったら何時までかかるのか計算したら、次の日の午前8時と出たのであきらめて全部ノートPCにコピーした。
学校ドラマがなぜおもしろいのかというと、学校生活というのは誰もが体験している共通のテーマで入り込みやすいことや、学校というのは社会の縮図で人間関係のトラブルは実際の社会の人間関係のトラブルの原点でイメージしやすい、みたいなことを聞いたことがあるけど、そういうのはこの際どうでもよくて、17才と偽って学校に通う主人公は留学生のようなものだなと思った。
「俺たちはここでは幼稚園児なんだ」みたいなことを誰か留学生が昔言っていたけど、確かにその通りで、言葉のわからない我々はここでは幼稚園児だと偽って生活しているようなものなのかもしれない。
見た目も違う、勉強もついていけない主人公がどうやって高校生の輪の中に入っていくのかというと、とにかく何事も一生懸命ということなのだ。
掃除当番も球技大会も学園祭もとにかく必死なのだ。
その結果、友情やら愛情やらいろいろなものがやっと手に入るのである。

 では、一生懸命留学をする、必死で留学するというのはどういうことだろうか。
一生懸命英語を勉強するとか、必死で英語を勉強するとか言うと、日本語の性質上、何か努力がどうのこうのとか苦労がどうのこうのとか暗い話になりがちだけど、早くそういうのから脱却しなければいけない。
一生懸命留学する、必死で留学する、というのは、どちらかというと、一生懸命楽しむ、必死で楽しむ、に感覚が近い気がする。
そして驚くことに一生懸命楽しむ、必死で楽しむという感覚は日本語の文脈の中に多分これまで存在しなかった。
「一生懸命」や「必死」は、決して「努力」や「苦労」と同意語ではないのだ。
間違っても、一生懸命な人が努力や苦労をしていないという意味ではなくて、正しく一生懸命な人は努力も努力と感じていないし、苦労も苦労と感じていないのだ。

 努力も苦労もしないで一生懸命、必死に生きることが私の目標です。

 カナダでの毎日はそれを達成するための戦いの日々なのだ。


ж B'zの曲を100曲ぐらいもらった(マサくんありがとう)。
この前、B'zの小話を一つ仕入れました。
なぜ「FireBall」の2番のサビの「魂に火をつけろ〜」の前で「Make」と稲葉が叫んでいるのか、という話。
この曲は資生堂のタイアップのため「メイク」という単語を歌詞の中に入れてCMで流すのが条件だったらしくて、それを曲が出来たあとに言われて、しょうがなくサビの前で「メイク」と強引に入れて「メイク魂に火をつけろ」と歌う羽目になったらしいです。
私はこういう「要はメイクって入れればいいんでしょ。」というような強引な力技が大好きです。

ж ドラマにも出てきたけど、学校のテストのとき教師がよく言っていた「わからなくても何か書いて解答欄を埋めなさい。」というのは、改めて聞いたら人生の格言のように思えた。

 


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2006年09月13日

アディオス。

ハイシーズンが終わって、ウィスラー全体が閑散期に入った。
ヴィレッジで目立つのは中国人の団体ツアー客くらいなものだ。
団体ツアーでウィスラーに来て、彼らは何を得て帰っていくのだろう。
みんなで集合写真を撮って、家に帰って写真を改めて見て、何を思うのだろう。
ウィスラーに行ってきました、ただそれだけじゃないだろうか。
お土産など買っていくんだろうか。
帰ってから近所の人に配ったりするのだろうか(それは日本人だけなんでしょうか?)。
私は早く世界各国にあるいわゆるお土産売り場と呼ばれるものがすべて潰れてしまえばいいと思っている。
何でも手軽に済ませて、それで満たされてしまう観光業における奴隷の群れは、公害に認定されればいいと思っている。

閑散期につき、ブレンズも休業になってしまった。
これでインターネットが使用不可能で万事休す、というのは嘘で、ちゃんとヴィレッジのどこで使えてどこで使えないかというのは調査済みなので全く問題がありません。
どこどこの店の前のベンチでワイヤレスが拾える、というような場所は5つくらい見つけてある。
というよりもブレンズの店員は感じが悪かったので、ここしばらく行ってなくて、ブレンズの前を通るたびに「潰れろ。」と呪いをかけていたらホントに閉店してしまって驚いた。
きっと冬にはまた営業するのだろう。
真夏にアイスコーヒーを頼んだのに、散々待たせた挙句ホットコーヒーを出してきたブレンズは、冬にはホットコーヒーの代わりにアイスコーヒーを出すのだろうか。
スモールサイズを頼んでいるのに、ラージサイズの料金を取り続けるのだろうか。


 昨日の夜を最後に同僚のロベルトが仕事を辞めていった。
本人は「おれはクビだ。」と言っていたが本当のところはわからない。
私は何度となく深刻な顔をして何かを考え込んでいる彼を何度も目撃していた。
彼は最後まで戦い続けていた。

 3ヶ月と1週間働いていろいろ学んだ。
今日職場に行ったらマネージャーに今日が最終日だと言われ、明後日にはアコモデーションも出ていかなければいけない。
これがカナダの会社のやり方で、おれは何も言うつもりはない。
カナダではおれは無力だ。
ここはメキシコじゃない。
カナダに来たのは間違いだったのかもしれない。
でもまだメキシコには帰る気はない。
次はオーストラリアに行こうと思う。
このことを忘れるな、絶対にこんなところで一生懸命働いちゃダメだ。
手を動かし続ければそれでいいんだ。
もっといい仕事を見つけなくちゃいけない。
おれはスペイン語はもちろんイタリア語もフランス語も喋れるけど英語がもう少しなんだ。
英語がもっと出来ればおれには知識もあるからいくらでも仕事は見つかる。
お前だってそうだろ?
とにかく英語を伸ばさなくちゃいけない。
いつまでもこんな底辺の仕事をしていちゃダメだ。

というようなことを仕事が終わった後、2人きりのオフィスで彼は語っていた。
一生懸命働いちゃダメだ、と言いながら、彼は誰よりも真面目に働いていたのを私は知っている。

お別れのプレゼントにワインを彼にあげた。
1年後には多分メキシコに帰るから、それ以降ならいつでもうちに寄っていってくれ、と言って住所やら電話番号やらをもらったあと、「Good-Byeはまだ言わない。あと2日はこのホテルにいるから」みたいなクサイせりふを残して自分の部屋に戻っていったけど、そんなせりふも彼にはよく似合っていた。

「NoProblem , Dai!」、「ThankYou , Dai !」という彼の言葉が頭によく残っている。
彼にノープロブレムと言われると、どんなに仕事が忙しくても大丈夫な気になれたし、あんなに爽やかに自然にサンキューが出てくる人を私は彼以外に知らない。
ああいうのを包容力というんじゃないかと思った。

彼には大事な彼女がいて、その彼女もこのホテルで働いている。
仕事の時間以外はだいたい一緒にいて、仕事中もたまに内線をかけたりしている。
彼女がキッチンデビューした日なんかは、「おれ心配だから見てくる。」と言って何度も行ったり来たりしていた。
こういう男に愛された女は多分幸せなんじゃないかと思う。


もう一つ昨夜印象的だったのがウィスラー在住のカナディアンErynで、ロベルトが辞めてしまうのを知って、あからさまに寂しそうな顔をしていた。
Erynはもうこのホテルに勤めて1年以上経っているので、いままで何人の人とこういう風に仲良くなっては別れ、というのを繰り返しているんだろうと考えたら、私も少し複雑な気分になった。
留学エージェントの人なんかがよく言っていることで、この仕事はいろんな人と出会って、力になってあげて、どんどん人が成長していくのを手助けする仕事で、とてもやりがいがあるけど、最後には大体の人が日本に帰っていくので、出会った分だけ別れがあって寂しい仕事でもある、みたいなことが今回のケースのErynも同じ心境なんじゃないかと思ったらまた少し複雑な気分になった。
もちろん私もいつかは去るわけです。
私が去るとき誰かが寂しそうな顔をしてくれるだろうか。
そのためには。。。
英語を伸ばさなければいけない。

もし住むところがなかったり、何かトラブルがあったらいつでも電話してくれ、と私は彼に言って、冬になるとまた仕事が忙しくなるから体に気をつけろ、と彼は私に言って、仕事がイヤになったらすぐにでも辞めて他のことをするよ、おれは奴隷じゃないからいつでも自由だ、と私は彼に言った。

私はその言葉をしっかり守っていこうと思う。


ж 今週の金曜にバンクーバー行き決定。


posted by da-i at 05:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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