2006年09月09日

時にはセキュリティに捕まってみたり、「祭りのあと」を毎晩聴いてみたり

仕事が急に暇になった。
客室率20%切ったりとかして、AM1:30までのシフトなのにPM11:30くらいにすべて終わらせて部屋に戻ったりも出来た(もちろん1:30まで仕事をしましたと上司には報告)。
休みをたくさんもらっている人もいるけど(3連休とか4連休とか)、私はなぜか週休2日のままです。
これはいいことなのです。
仕事のある日を充実させるよりもオフの日を充実させることのほうがはるかに難しいからです。
何かをして収益があるだけで充実感がこんなに違うものなのかと感じる(あくまで私の場合)。
でも決して貯金が好きなわけじゃない。
貯金なんて大嫌いだ。
でもお金を使うのはもっと嫌いだ。
お金の使い方ほど難しいものはない。
こういうのは誰も教えてくれない。
大半の人は間違ってるんじゃないかと思う。


先日、シェフがキッチンの人みんなのために大量に焼いたドーナツが余っていたので、帰り際に袋に詰めて持って帰ろうとしたら、深夜の見回りのセキュリティにバレて「これはみんなのものだから今すぐ元の場所に戻しなさい」と叱られた。
キッチンで食べる分にはいいけど、持って帰ってはいけないらしい。
ちゃんと元の場所に返すかどうかキッチンまで同行されて、完全に犯罪者状態だった。
よっぽど戻した瞬間に、残りのドーナツを全部彼の目の前で食べ切ってやろうかとも考えたが、そういう大人気ないことをする年でもないのでやめた。
アレックスはというと、食器を運ぶカートに隠して積んで、わざわざ自分の部屋までカートごと持ってあがって、また別の階に食器を運んで、というようなことをして手に入れていた。
そこまでするのか、と思ってそれはそれで子悪党ぶりを情けなく思ったが、「ショーシャンクの空へ」という映画で我々は何を学んだのかというと、主人公が刑務所の食堂で言った「捕まるのは盗みの才能がないからだ」ということで、詰めの甘い私は泥棒では食べていけないなと今後の職業選択の幅が狭まった。

セキュリティが厳しくなったことが、我々にどういう影響を与えるかというと、仕事が終わった後の夜食もダメになるということだ。
我々は仕事後に勝手にフレンチフライやらナゲットやらを調理して、おなかいっぱいで部屋にもどっていたのだが、それもリスクが大きいということだ。

もちろん帰る途中で、たまねぎやらじゃがいもやらをダンボールから勝手に持ち帰るのも極めて危険だということになる。

トイレットペーパーの持ち帰りも今後注意しなければいけない。

ということは、社員食堂から袋詰めの食パンを勝手に持ってくるのも危ない。

と挙げだしたらきりがないほど思い返したら悪事がボロボロと出てきて自分で驚いた。
多分ここ一ヶ月の食費は10ドル以下だ。

信じられないほどタダ飯をよく食べている。

一番よく食べた日はいつだっただろう。

それは2週間ほど前のある日のこと。
さあこれから仕事へ行くか、でもその前に軽く腹ごしらえ、と社員食堂でトーストを数枚食べて仕事に行ったらケーキの残り物が職場に置いてあった。
もちろん1つ2つでは飽き足らずガンガン食べる。
しばらくすると夕食の時間になって、社員食堂でたらふく食べる。
職場に戻ると、今度はクッキーやら何やらが置いてあって、これも一度にたくさん食べられないものの、時間が経つにつれて皿の上から私のおなかの中にお菓子が移動していった。
またしばらくすると遠くのほうが騒がしくなってきて、行ってみるとサーモンやらパスタやらチップスやらが山のように積まれていてウェイター達が群がっていたので、もちろん私も参戦する。
そして仕事終了間際には、シュリンプやら生牡蠣やらのシーフードの盛り合わせがドラム缶二つ分くらい運ばれてきたので、しっかりとキープしてあとで食べた(さすがにこれは食べきれない)。

半日で6食いただいたのが今のところ最高記録です。
同僚に「悟空かお前は。」と言われたりしながら(やっぱりドラゴンボールはグローバルスタンダードだ)食生活は多分今までの人生で一番充実しているなと思った。
おなかいっぱいです、と言うたびに何か悔しい気分になる。
バンクーバーでの粗食生活が懐かしい。
今の私は、ヌードルって何ですか?T&Tって何ですか?サンライズって何ですか?という状態です。
ロンドラで29セントのヌードルを買うか、サンライズの2つで89セントの出前一丁を買うか迷うことももうないし、T&Tの菓子パンに40%OFFの値札が貼られるのは何時からだとか、その菓子パンがいつまで経ってもカビが生えないのはなぜなのかとか、T&Tがタイワニーズタイワニーズの略だというのは本当かどうかなど、もうどうでもいい。
飽食の時代がやっと訪れたのだ。


不幸にも、こうして奴隷たちは飼い慣らされていくわけです。
要はホテルに従業員を依存できるぎりぎりまで依存させるわけです。
依存した状態に慣れてしまった人々は、もうそれなしでは生きていけなくなってしまう。
大企業に勤めるサラリーマンと同じなのである。
おいしい蜜を吸っているつもりが、実は逆に吸われているのです。
仕事における依存に限らず、恋愛での依存など人間関係においても依存というのは絶対的に良くない。
それなしではいられなくなるのも良くないし、もしそれが急になくなったときにどれだけ依存していたか気付いてももう遅いのだ。

どんなにおなかがいっぱいになっても、少しくらい給料が良くても、快適な部屋に住んでいようとも、何かを失っていっているような気がするのはそのためである。
奪われているものが何かはわからないが、大事なものであることは確かで、そういうのはしっかり誰にも渡さないように守っていかなければいけない。
たとえ奪われているものが何かわかっていたとしてもそれは人に言う類のものではなくて、自分の中にしっかりと大事にしまっておかなければいけない。


あとは、日本を感じる音楽を最近よく聴くようになってしまって、この症状はかなりひどくて、桑田佳祐っていいよね、と真顔で言えるほどわかりやすい日本の歌謡曲にひかれてしまう。
「祭りのあと」を毎晩聴くようになってしまった。
いままで、あんなのは暗い演歌だ、とバカにしていたのに。
ミスチルとかドリカムとかを聴くようになってしまったらどうしよう。
70年代のフォークとかを聴くようになってしまったらどうしよう。
井上陽水とかさだまさしとか言い出すようになったらどうしよう。

と思っていたら、もう私の中の歌謡曲ブームは去っていってしまった。
LedZeppelinとかDoorsとかPinkFloydとかまたそんなのばかり聴くようになった。

日本の歌謡曲のテーマは要は「弱い人間」で、人ってホントはみんな弱い存在だから、という世界だが、よっぽど寂しかったり、つらかったり、弱ったときにしかこういうのは聴けないんじゃないかと今になって思った。
悲しい出来事もなく、寂しい思いもしていない毎日の中で、私は弱っていたのだろうか。

演歌や歌謡曲が弱い人間を歌っているというのは本当だろうか。
実は逆で、本当は人間は強いということが言いたいんじゃないだろうか。

暗い歌謡曲の世界で、私は人間の強さに共感していたんだと思う。
なぜそう思うのかというと。。。

多分、こういう自分にとって大事な部分は人に話す類のものではないだろう。


ж 来週末にバンクーバーに行くかも。
posted by da-i at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

バンクーバーのマリオットホテルに泊まりたい人はご連絡ください

デイオフで時間があるので連続更新です。

朝起きて、まずウィスラー図書館へ行ってみた。
その土地の人間が文化的かどうかを知るためにはその土地にある図書館へ行けばわかる(本が充実している図書館がある町の人々は文化的だ、ということだろうか)、というようなことを立花隆が言っていた。
ウィスラー図書館はどうかというと、バンクーバーの図書館の大きさをパソコンのキーボード全体の大きさと考えると、多分「Shift」と「Enter」のキーを足した程度の大きさですが、小さいながらも結構充実している。
日本語の本もある。
「犬夜叉」とか「Naruto」とかの英語で書かれた漫画もちゃんと置いてある。
日本にいるときからいつもしている、いろんな町へ行った際の私の図書館の充実度の調べ方は、村上龍の本の充実度で計っているのですが(中谷彰宏の充実度で計る場合もある)、ウィスラー図書館はどうかというと、2冊だけ置いてあった。
その2冊は「テニスボーイの憂鬱(上)(下)」だった。
なぜテニスボーイなのだろう。
有名どころの、「トパーズ」とか「限りなく透明に近いブルー」とかじゃなくてテニスボーイ。
ウィスラーに来たら、SMとかドラッグとかSexとかそういったことよりも、健全に大自然の中でテニスをするのをお勧めしますよ、ということだろうか。
で、パソコンのバッテリーの充電をしながら小一時間読書をした。

 その後、アクティヴィティ大好きなAlexについていって登山を小一時間楽しんだ。
最初、「オレが登りたいのは本当はあの山だ」と言って彼が指差した山は、遠くにそびえるまだ山頂に雪が残った山というより山脈だった。
とりあえず今日はリハーサルだ、それにその格好じゃ今日は無理だ、とパソコンの入った重たいバックパックを背負ってビーサンを履いた私に言い、我々の登る山はBlackcombの冬はスキーやらスノボやらで大賑わいのイージーな山に決まった。

なぜ普段なら絶対やらない山登りなんかを私が今回してみる気になったのかというと、最近聴いた「RichDad,PoorDad」の第五巻、「RitireRich,RitireYoung」のAudiobookが原因です。
今から20年位前に、「RichDad,PoorDad(邦題;金持ち父さん貧乏父さん)」の著者「RobertKiyosaki」が何とか若くしてリタイヤするためにプランを練らなければいけない、と妻と友人と3人で山に登って山頂の小屋でああでもないこうでもないと話し合いをした、その山こそが他でもないウィスラーの山だと判明したからです。
そういうことなら行かなければいけない。
何かひらめくかもしれない。

しかし、途中まで登って時間がなくなって引き返してきた。
なぜ時間がないのかというと、昨夜はフォーシーズンズホテルの従業員パーティーが行われて、それに出席したかったからです(まあ山はいつでも登れるし)。

 パーティーの内容は、まず受付に行くと、ドリンクチケットが2枚と、抽選券と、パーティー会場内のカジノゲームで使えるおもちゃの紙幣$2000を渡されるわけです。
料理はもちろん食べ放題で、ジュースなんかも飲み放題で、ケーキやらチョコレートやらアイスクリームやらも山のように盛られていた。
メイン会場に入ると、ブラックジャックやらポーカーやらルーレットやらのゲームと、大きなスクリーンには1週間前からこつこつと撮られていた従業員の蔵出し画像集が延々と流されていた。
そんな中、同じ部署でも他の人は写真がちらほら流れているのに、私の写真は一枚も流れなかったので、みんなに気付かれないように一人でそっとへこみながら、パーティーという場で一番楽しんでいる人というのは何をして楽しんでいるのだろう、ということを考えながらあたりを見回していた。

日本人はパーティーが苦手と一般的に言われているが、他の国の人と何が違うのだろうとずっと考えていた。
いろんな人を見ているうちに、一般的に言われる、日本人はノリが悪いからだ、という理由は違うような気がしてきた。
それはパーソナリティーの問題で、国籍の問題じゃない。
要するに、自分が何をしたいかがわかっていないことと、何をしたら自分にとって楽しいかがわかってないから、という結論に落ち着いた。
パーティーに出て、いろんな知り合いを増やしたいならいろんな人に声をかければいいし、おなかがすいていて空腹を満たすのが目的ならひたすら食べていればいい。
みんなでわいわい騒いでいるところに入って一緒に騒ぐのが何よりも楽しいんだ、という人は騒いでいればいいし、そういう人たちを見て楽しい人は見てればいいし、人が騒ぐ企画を練りたい人は観客側じゃなくて、主催者側の立場になればいい。
あえて日本人は、という言い方をするならば、ノリが悪いどうのこうのよりも、自分以外の他人の集団が楽しそうにしているそばで、平常心を保てないのが日本人なのかもしれない。
まわりの他人が楽しそうだと寂しい気持ちになるのが日本人なのかもしれない。
つられて楽しくなる、というのは可能なのだろうか(そんな人いるんだろうか)。
まわりが楽しんでいると私も楽しまなければいけないと変な強制力が働くのが日本人なのかもしれない。
どうしてだろう。
それは小さい頃から人と仲良くしなければいけない、友達をたくさん作らなければいけない、という強制力を伴う教育を受けて育てられたからなんじゃないか、という気がした。
日本というのは他の国に比べて「〜しなければいけない」「〜してはいけない」という標語が多い国なのだろうか。
押さえつけられて育てられた子供は自分の本当にしたいことまで押さえつけて大人になるのだろうか。
だとしたら、学校に貼ってある「廊下を走ってはいけません」は、「肩で風を切って廊下を靴音を鳴らしながら軽快に歩くと気持ちがいい」に変えたほうがいいんじゃないだろうか。


そんなようなことを考えていたら、隣に座っていたAlexに「おい、当たったぞ」と言われてスクリーンを見たら、私の名前が表示されていた。
何か当たったらしい。
もらった景品は、ウィスラーフリーマガジン「Pique」協賛の旅行バッグと、ウィスラースキースノーボードスクール協賛のTシャツとパーカーとよく使い道のわからないカード入れと、お土産売り場の熊のぬいぐるみ(意味不明)と「VancouverMarriottPinnacleDowntown2泊ディナー付お二人様チケット(ウィスラーとバンクーバーの往復バスチケットも同封)」だった。

パーティーが終わって部屋に帰るまでの間に、熊のぬいぐるみを抱きかかえた私を見て、いろんな女性から「あら、何て可愛い熊さんなの。もしいらないようなら私に頂戴ね。」と声をかけられたりしているうちに、コスト0で何かが手に入った場合、無条件に気分がいいと改めて感じた。
高価なスキーの板を当てたアランという初老の同僚は、「息子がスキーの板を欲しがっていたけど高くて買ってやることが出来なかった。これで息子が喜んでくれる」というような微笑ましいことを言っていて、金持ち父さんも貧乏父さんもこの瞬間のアランにはかなわないだろうなと思った。

おなかもいっぱいで、景品も当たってラッキーな一日だった。

でもこれは幸せとはまた違う。
「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」という話を前々回に書いたけど、この話には続きがあって、「幸せはその逆だ。幸せはベランダにある小さなかわいらしい花の苗だ。あるいはカナリアのひなだ。目に見えて少しずつ少しずつ成長する。」と下の句がある。

目に見えて少しずつ成長しているものはなんだろう。

何も思いつかないので終わります。


жパーティーの最中に、同僚のロベルト(メキシコ人)が「大、見てみろ、こうやって奴隷は飼い慣らされていくんだ」とパーティーホールの片隅で従業員一同を指差しながら私に言った。
この一言で私はさらに彼のことが気に入った。

posted by da-i at 04:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

ラスプーチンとかシェイクスピアとか春樹とか

昨夜は、Alexとラスプーチンの話で盛り上がった。
私はラスプーチンを完全に勘違いしていて、犯罪者で死刑になった人だと思ってたら全然違った(どこでそんな話を聞いたんだろう)。
実際ロシアではは一種の革命家のような位置づけらしい。
魔術のような治癒能力を持っていて、怪我や病気を治せたとか、予知能力があって例えば、常日頃から「私が死んだら私の死の50日以内に革命が起きるだろう」と言っていて、本当に死後50日以内に革命が起こったり、よく伝記モノにあるように、あとから誰かが作った話だろうというような内容が本当の話だったりするわけです。
当時の皇室の女王の息子の回復不可能な病を治したことがきっかけで政治的な力を持ち始め、皇室内の多くの女性と関係をもってブイブイいわせていたところ最終的には甥っ子に殺されるらしい。
 で、殺されるときのエピソードは私も知ってるくらい有名な話で、銃で5〜6発撃たれたあともまだ死なないでフェンスをよじ登って逃げて、さらに捕まって袋叩きにあってもまだ生きていた。
そのあと橋の上から川に突き落としてもまだ死ななかったとか(検死解剖の結果、肺に水が入っていたことから水中で呼吸をし続けていたことが判明した)。
生命力の強さと性欲の強さは多分関係している。
出世欲みたいなのも多分関係している。
世の中のいわゆる社長と呼ばれる人たちは性欲が強い人が多いらしい。
なので女性の皆様は生命力の強そうな男をつかまえましょう。

 もう一つおもしろい話があって、ロシアではラスプーチンに対して賛否両論なのにアメリカでは肯定派が多いのはなぜか、という話。
これは一冊の本がきっかけなんだそうです。
というのも、ラスプーチンの死後、ラスプーチンの親族の誰かが(誰だったか忘れた)アメリカに移民した。
そこでロシアのことやラスプーチンのことを詳しく著述して(いわゆる告白本のようなもの)アメリカで出版したわけです。
親族なので肯定派の内容なわけで、それを読んだアメリカの人々はラスプーチンに対してポジティブなイメージをもっているらしい。
なので「ラスプーチン」という映画がアメリカで公開されたときも、肯定派の内容で、その内容もその本の影響をうけた内容らしいです。


 あとはこの前、文学部出身のJuhn-hoに連れられて、シェイクスピアの演劇を$25も払って見に行ってしまった。
演劇というのは、要は出てくる人が事あるごとに空を見上げ、手を広げて「ああ、私は何て〜なんだろう」と声高々に叫びながら人生の苦悩(基本的に恋愛がらみ)をこれでもかと見せつけてくるアレです。
開演した瞬間に私は、真昼間の(午後二時の屋外での公演)森の中で、妙な宗教音楽と儀式的な踊りの洗礼を受け、「ああ、私の$25(2時間分の労働に値する)はこの人たちの今夜の飲み代に一瞬にして変わってしまったんだな」と寂しくなって、開始10分後には既に話がわからなくなり完全に迷宮入りしてしまった。
しょうがないので、出てくる人たちに片っ端から、私の払った$25にあたる彼らの今夜の酒代の割り振りを考えてあげていた。
あの主人公っぽい人は2杯までOKとか、あのおじいちゃんは年なのに頑張ってるから寝る前に1杯だけ飲んでよしとか、あの透け透けの衣装を着た美女はボトル空けてもいいなとか、あのロン毛は女性と絡むシーンが多いわりにあんまり喋ってないから2口しかダメとか、そんなようなことをして私が一人で楽しんでいた隣でJuhn-hoはしっかり睡魔と闘っていた。

クライマックスはこの手の演劇の定番である自殺と発狂だった(悲劇にとってお約束の自殺と発狂もこれだけ使い古されると喜劇に変わる)。
何もそのくらいのことで死んだり狂ったりしなくてもいいのに。
空に向かって苦悩を大声で告白する人々は、本当に自分のことを相手にわかってもらおうと思ってそんなことをしているのだろうか。
もっと適切な方法があるような気がしてならないし、逆に、自分のことは決して他人にはわかってはもらえないのだ、というニヒリズムを空に向かって自分自身で確認しているようにしか思えなかった。
ラスプーチンのようになかなか死なない人間もいれば、シェイクスピアの演劇のように簡単に死んでしまう人たちもいて、いろんな人間がいるもんだなと改めて思った。


話は飛んで、サイバーエージェントの藤田社長のブログを読んでいて(渋谷で働く社長のアメブロです)、「国境の南、太陽の西」という本について書いてあって、おっと思った。
ちなみに村上春樹の本です。
春樹の本は肌に合わないので読まないことにしてるんだけど、この本だけは別。
内容はもう忘れてしまったけど(多分これも春樹の文章が肌に合わないせい)。

藤田社長の経営者観点の書評が勉強になった。
こんなことは全く気付かずに読んでた。
本というのは不思議なもので、同じ本を読んでも読む人によって得るものが違う。
読んでいる人のレベルに合った内容だけが得られるようになっている。
小学生が読めば小学生レベルの、中学生が読めば中学生レベルの内容が読み手に返ってくる。
だから大人になってから子供の頃に読んだ本を読むと違う感想を持つわけです。
大人になってやっとわかる、という本も多数存在する。

と考えていくと、シェークスピアは今の私には早過ぎたのか遅過ぎたのかわからなくなった。
古典文学というのは、子供と老人のための物語なのかもしれない。

(以下「渋谷で働く社長のアメブロ」より抜粋)

主人公は8年間も自分に合わない会社勤めをした後、青山通りで「ジャズを流す上品なバー」の経営に成功している。
私が本を読んで思うところ、この経営者(主人公)は成功すべくして、成功している。

1.お店の内装や音楽、メニューなど、詳細に渡って主人公が自分で細かく指示している。

(小さい規模では自らが責任もって細部に拘らなければならない)

2.その際に、「若者がデートでの来店だったら?一人でのみに行くのなら?」など想像しながら、決めていると言っている。

(自己満足でなく、顧客の立場に立って考えている)

3.「2ヶ所にお店を出店したけど、もうこれ以上広げる
つもりは無い」とはっきり言っている。

(自分の得意分野とキャパシティを知っている)

4.類稀な能力を持ったバーテンダーとコックに、
「他の従業員にはちょっと言えないような額を払ってる」と言っている。

(数多の同業者に対する競争力は何か?を理解している)

5.最初の資金は、奥さんの父親から借りたが、利子をつけて返した後は借金を考えていない。

(必要以上のリスクを負わない)

6.8年もの間、自分に合わない仕事をした後だから、こんな仕事ができて幸せだと言っている。

(元の環境に戻りたくないという、反骨心を身につけている)
加えて主人公は非社交的で、慎重な性格。
野心的でも無ければ、投資などの不労所得も嫌う。
そんな性格の経営者だから、上記のような経営方針とマッチしているんですね。
社交的で大胆さを持ち合わせていれば、新しい事業の種を拾い、再投資し、多角化、多店舗展開にリスクを負って挑戦するでしょう。
以上、書評になってませんが、久々に書評でした。いい本です。
posted by da-i at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる

先日、暇だったので携帯カメラで撮った写真を何となく見返していた。
 で、新しい写真からどんどん時間軸をさかのぼっていって、日本を出発してバンクーバーに到着した次の日にはじめてダウンタウンに行って、ここがバンクーバーかと最初にカメラを向けたペンダーストリートかどこかの写真にたどり着いたときに、「あ、今私は日本じゃなくてカナダにいるんだな。なぜこんなところにいるんだろう。」と漠然と考えてしまった。
 何か毎日の生活がとても自然で違和感のないもので、自分のブログとかを読み返してみても、日が経つにつれてだんだん文章が偉そうになっていってて、他人から見たら「こいつ調子に乗ってんな」と間違いなく思われる状態だろうなと思った。
 調子に乗っているといっても、やることすべてが順調で、自分の思い通りにことが運んで、やりたい放題で向かうところ敵なし、といった状態ではもちろんなく、当然悩みなんて一人では抱えきれないほどたくさんあるし、考えないといけないこともたくさん先延ばしになっているし、英語はなかなか伸びてこないし、要は全く調子になんて乗れてないんだけど、そういえば最近大きな失敗ってしてないなと思った。
 「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」という話を思い出して、近い将来突然大きくコケるのかもしれないな、と考えたら少し怖くなった。
 子供の頃から周りの大人たちによく言われていたことは「調子に乗るな」だった。
 どうして調子に乗ってはいけないのかよくわからなかったし、今も多分よくわかっていない。
 「調子に乗るな」は「最近の若いもんは。。。」みたいな老人の愚痴の一種で、調子に乗れるようならじゃんじゃん乗ってしまえばいいじゃないかと思う。
 調子のいい人を見て、こいつ調子に乗りやがってとか思う古い価値観の人もだんだん減っていくだろうし。
 調子のいい人を見つけたら、どんどん調子に乗らせて自分もついていった方が楽しいんじゃないかと思う。


 共同キッチンで誰かがギターを弾いていて、「その曲イイね、誰の曲?」と聞いたら「オレの作った曲」とか言われて、こういうのはいいなと思った。
 日本にいた頃は、誰かがギターを弾いてても良い曲なんか一度も出会ったことがないけど、カナダだとたまに、ああいいなと思う曲を弾いてる人がいる。
 日が暮れてきた頃に、バンクーバーのダウンタウンのグランビルストリートでたまにジミヘンとかピンクフロイド弾いてる人がいたけど(Hey JoeとかWish You Were Hereとか)、そういうのもいい。
 多分もういないけど、バラードステーションでバイオリンを弾いていたおじさんも哀愁が漂っててよかった。
 やっぱりおじさんがやる音楽は良い。
 ロックバンドなんかも10年、20年と続けてるバンドは続ければ続けるほどだんだん良くなっていく。
 流行り廃りの業界で生き残っているバンドはそれだけの何かを持っている。
 40年以上続けているローリングストーンズなんかは本当にすごい。

 で、今自分がずっと続けていることって何だろうと考えてみた。
 
 。。。何も思い浮かばない。

 話が終わってしまった。

 
 昨日の仕事では、ちょっと考えてしまうことがあった(こういう書き出しだとどうして書くほうも読むほうも少し気が引き締まってしまうのだろう)。

 昨夜のシフトはErynというウィスラー出身のカナディアンと、韓国出身の同じEBC組のJuhn-hoと私の3人だったわけです。
 で、夜のシフトは途中で誰か一人が社員食堂の掃除担当でキッチンを離れるわけですが、その担当がJuhn-hoだった。
 だいたい社員食堂の掃除というのは2時間くらいで終わって、またキッチンに戻ってくる、というのが通常なのですが、Juhn-hoは4時間くらいかかってしまった。
 もちろん彼がいない時間はErynと私の2人でキッチンのすべてのことをやらなければいけないわけです。
 Erynと私は「なかなか戻ってこないね」などと話してたわけですが、あまりに遅いのでErynが完全にキレてしまいました。
 「あいつは英語も喋れないし、仕事も遅いしどうなってるんだ」みたいなことになるわけです。
 そのうちに深夜シフトの人たちもやってきてJuhn-hoの悪口大会が始まってしまいました。
 「そういえばこの前あいつと一緒のシフトになったけど、全然コミュニケーションが取れなくてホントにイライラした」とか、「あいつに仕事を頼むとホントに時間がかかってしょうがない」とか、「言葉が通じないから実は一緒のシフトがつらい」とか、そういう類のやつです。
 そういうのを私は「なるほどね」と横で聞いていたわけです。
 そのうちに「そういえばAlex(同じEBC組のロシア人)も英語わかってないよな」みたいな話になって、まずいこの流れだと次は私が叩かれる、と思っていたら、見事に予想があたって、「そういえばお前も。。。」みたいなことになった。
 そのときErynが、「いや、こいつは多分比較的英語理解してるほうだ、それに昨日も社員食堂の掃除を頼んだときに1時間半くらいで終わらせて戻ってきた。あれはグレートジョブだ」みたいなことを言ってくれて、何とか叩かれずにすんだわけです。
 そしてしばらくしてJuhn-hoがやっと戻ってきて、言うまでもなくErynとしばらく口論になっていた。
 
 こんなことがあって、改めて、そういえば英語が喋れないのにこのホテルで他の人たちと同じ給料で雇われてるのはすごいことなんだなと思った。
 こんな迷惑な存在はないなと思った。
 何言われても文句なんか言えない存在だ。
 
 英語は急には伸ばせないけど、仕事だけは絶対に他の誰よりも速く一生懸命働いてやろうと改めて決心した(いままでもそれは心がけてたけど)。
 言葉以外では負けてたまるか、と思った。
 英語のできない私にできることはそれくらいしかない。
 英語に関しても、いつまでも「喋れなくて当たり前、だって今はまだ勉強中なんだから」みたいな考え方も捨てようと決心した。
 喋れて当たり前、という厳しい世界にいることを改めて感じた。
 
 いままで私が心がけてきたことは、「愛想だけは絶対によくしておこう(元営業マンなのでちょっと自信あり)」とか、「元気よく挨拶しよう」とか、とにかく何言われても言葉の最後に「ありがとう」をつけて返そうとか、何か頼まれたらすぐ動こうとか、よくわからなかったら笑って愛嬌をふりまいておこうとか(これ結構大事らしい)、その程度ですが、そういう付け焼刃的なものでやっていけるのは時間の問題だなと危機感を感じてしまった。
 
 人間関係というのはポジショニングが大事で、何かの組織に属した場合、自分がその組織のどの位置にいるか、というのは敏感に意識していなければいけない。

 昔、TMネットワークが売れる前の小室哲哉のインタビューで、「ヒット曲を作るには何が一番大事だと思いますか?」と聞かれて、とにかくいい曲をつくる、とかいかにもミュージシャンが言うようなことを言うのかなと思ったら一言、「自分の所属するレコード会社で自分のバンドがどの位置にいるか。どんなにいい曲を作っても売れなかったら意味がないし、売るためにはたくさんの人に知ってもらわなければいけないし、知ってもらうためには会社全体の宣伝費における自分たちのパーセンテージを上げていかなければいけない」みたいなことを言っていたのが思い出される。
 
 力関係はどうだとか、誰と誰がどういう関係で、どの程度仲が良いかとか、誰と誰が仲が悪いとか、例えばそういうことを早く理解して、自分のポジションを築いていかなければいけない。
 今のところ私はそんなに悪い位置ではない(多分)。
 かなり恵まれた位置にいると自分で思う。
 いろんな人が「Hey,Dai!」と声をかけてくれる(実際この人誰だろうという人がたくさん声をかけてくれる)。
 でも、仕事ができて当たり前、英語も喋れて当たり前、それが前提であとどんなウリがある、というところに早くいかないと、今まで良くしてくれていた人たちが、徐々に離れていってしまうような感覚が脳裏に走った。
 今はまだいろんな人が助けてくれるけど、そのうち「いい加減にしろ」と思われる日が来るんだな、と確信した。

 全く面白くもないのに、テンションだけがやたら高いお笑い芸人のように、すぐに飽きられて捨てられる(テンションという言葉自体私は嫌いだし、テンションがどうのとか言っている芸人は多分才能がないと思う)。
 そういう芸人がTVに出続けることに我々が不快を感じるように、私の存在に対して周りの人々がだんだん不快を感じるようになるのは明らかだ。

 とにかく今のままではいけない。

 「不幸は自分の知らないうちに、自分の知らないところで勝手に育っていって、ある日突然目の前に現れる」

 今の私にとっての一つの不幸のシナリオは、ある日突然誰からも相手にされなくなることだ。

 人生においてこれほど寂しいことはないと思う。

 
 私の部屋の隣にJuhn-hoは住んでいる。
 私は彼に何か言うべきだろうか。
 「もうちょっと早く仕事するように心がけてみようか」などと言うべきだろうか。
 「まあErynが怒るのもしょうがないよ、明日もあるし早く寝たら」とか言うべきだろうか。
 余計なことはしないで放っておくのが一番なのだろうか。
 自分のことだけ考えるべきなのだろうか。
 
 などと、考えながら夜が更けていくのでした。
 

ж この前、今月の前半2週間分の給料明細をもらったけど、1500ドルくらいになってて、Taxやらスタッフアコモやらで引かれて手取りは1100ドルくらいだった。
 そんなに悪い数字じゃないけど、一番忙しい時期に働いてこの金額ということは時給で働いている限りこれを超える数字は当分ないわけで、そう思うと虚しくなった。
posted by da-i at 07:36| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

だからその手を離して


前回の話の終わりに、「もう一つ書きたいことがあるけどそれはまた今度。」というようなことを書いていた気がするけれど、1週間以上も前のことなので完全に何のことだったのか忘れてしまった。
 忘れるくらいだからたいしたことではなかったのでしょう。
 多分明るい話題じゃなさそうだし。

 というか「髪を短くしろ!」と上層部の連中があまりにうるさいのでまた髪を切る羽目になった。
 働き始める前に1回、働き出してからもう1回と2回も切ったのにまだ気に入らないらしい。
 そういえば中学生のときも「お前、髪が長いぞ!」と何度も注意されていたのを思い出した。
 ひたすら無視だった。
 そういえば高校のときも。
 こういう不毛なやりとりはくだらないので好きじゃない。
 上層部であろうと、教師であろうと、「なぜだ?」と彼らに聞いても「規則だからだ。」というアホの一つ覚えのような答えしか返ってこない。
 管理能力の足りなさを規則でカバーしようとしても無理な話だ。
 規則で縛って管理した気になっている最低な人種である。
 そういう考え方は社会主義と一緒に滅んだと思っていた。
 

 そういう人間を相手にしていると精神衛生上よくないので、おとなしく初めてカナディアンのヘアサロンに行ってきた(今まではずっと某バンクーバー出張美容師のChikaさん)。
 新しい体験だ、と思うことで少し楽しい気分になれた。
 我々は常に新しい体験を求めている。
 「ホテルで働いてるんですけど、上の連中が髪を切れとうるさいので仕方がなく来ました。ホントはショートカットなんて大嫌いです。どうしましょう。」というと、「わかったわ、雰囲気は今のままで耳を出す感じでタイトになるようトライしてみるわ。ホテルの人の求めるショートヘアっていうのはサイドが短くなってれば問題ないのよ。」などと、20代だか30代だかわからないやたらとテンションの高い女性に言われて、ガンガン切られた。
 仕上がりは。。。
 YMO時代の坂本龍一みたい。
 デビューほやほやのB'zみたい。
 ミスチルの桜井も昔こんな感じだったかも。
 ホントに横だけ切られた。
 しばらく知り合いには会いません。
 髪が伸びる頃には。。。
 今のとこ辞めて別のところで働いてるかもね。
 くだらないやりとりでエネルギーを使いたくない。
 私をこのホテルに送ったのは間違いだったのかもしれない。
 何でもかんでも管理したがる人たちはちょっと苦手。
 早く次の日本人送ったほうがいいかも。
 仕事に関して文句は言わせないけどね。
 

 先週は仕事がかなり忙しかった。
 「よし、お前らよく聞け。今週はかなり忙しいから一人1日10時間働いてもらう。」などと、ひたすら上の人間に媚を売って昇進しました、というような満面の作り笑顔の上層部の人間に言われた。
 そして実際は一人1日12時間働いていた。
 人によっては14時間とか。
 給料が大変なことになりそうだ。
 夏のハイシーズンで一番忙しい週だったらしい。

 そして今週は少し落ち着いて8時間労働に戻った。
 先週と同じ調子でお金欲しさにオーバーワークしたら注意された。
 今週は忙しくないから定時で終われ、と。

 時給という制度の弊害はここにある。
 成果給であればどれだけ働いても文句を言われないが、時間給の場合たくさん働くと怒られるのである。
 労働者が働いて怒られる時間給という制度は、管理する側の人間の作った、管理する側の人間にとって都合のいい制度だということだ。
 「時給いくらでこのフロアを掃除してください」というよりも「このフロアを掃除したらいくら払います」と言ったほうが明らかに早く掃除が終わる気がする。
 時間給で働いているフリーターのスキルが向上しないのはそのためである。
 賢い管理者は「いくらあげるから時間もやり方も関係なしで好きにやってください」と言うだろう。
 賢い労働者は自分で効率的なやり方を考え短時間で終わらせるだろう。
 11時で仕事が終われるのに、シフトが12時までだからだとたらたら仕事をするのは愚の骨頂である。

 書いていて何かイライラしてきた。
 本当に書きたいことはこんなことではない。

 同じ職場で働くSatoshiさん。
 やはりこの人ただものではなかった。
 言うならば「Whistlerの金持ち父さん」である。
 「大よ、男は30代で必死に働いて40代で引退するのが一番賢いぞ。」と言われた。
 「このホテルの仕事なんてクソだ。別にオレは今すぐ辞めても十分食っていける。自分のビジネスを別に持ってるし、高級コンドも持ってるからいつでも引退できる。」と言っていた。
 「こんなとこで働くよりももっといいとこ紹介してやろうか。そっちのほうが楽しいし英語伸びるぞ。」みたいなことを言われてふらふらとついていきそうになってしまった。
 彼は長いことウィスラーに住んでいるしいろいろ知っているのでこれからいろいろ話を突っ込んで聞いてみないといけない。
 何事もリサーチが大事だ。
 スキーとテニスがプロ並にうまくて(テニスはバンフのトーナメントでベスト4入りしたらしい。スキーはプロでやってて企業からスキーウェアから何から広告用にもらってたとか)、17歳のかなり賢い息子がいて今学校で成績が一番で来年からUBCに通うとか。
 今度テニスをしようという話になって、さすがに今回はビーサンでは行けないなと思った。
 「もう一人息子が欲しいんだよね、もっといろいろ教えて育ててやりたい」と言っていたので、「ボクなんかどうですか」と言ったら「もうお前は子供じゃない」と言われた。
 そうかもう子供じゃないんだな、と改めて思ったが、何かを始めるのに遅すぎるなんてことは何もないと思ってる。
 留学も多分そう。
 行きたいときに行くのがベストタイミング。
 やらずに悔やむよりもやって悔やむさ、と「キャプテン翼」のあの人が言っていた。
 実際は違う。
 やらずに悔やむことはあっても、やってしまって悔やむことなどほとんどない。
 
 美和さんのブログのリンクからこのブログにたどり着いている方たちが毎日ちらほらいらっしゃるようなので、こういうこともたまには書いてみる。
 

 。。。違う。本当に書きたいことは何だろう。

 重いモノを持つときに人は腕の力で持ち上げてしまいがちだが、本当はそうではなくて腹筋をつかわなければいけない。
 腹筋を鍛えることで、男性であれば勃起力とその維持力のアップにつながるらしい。
 「Cty Hunter」のあの人の腹筋は多分すごい。

 。。。何を書いているのかわからなくなってきた。

 あ、そろそろ携帯とめられるかも。
 またFidoからメールが来始めた。
 とりあえずデイオフでバンクーバーに遊びに行くJohn-hoに、お金渡すから代わりに払ってきてよ、とお願いしてみた。

 来週は暇らしいから3日休みがもらえるらしい。
 何しようかな。
 今度こそどこか旅に出ようかな(前回の3連休はビクトリアへ行こうといって、結局バンクーバーの友人宅に3泊して終わった)。

 そういえばそのとき見たバンクーバーの花火もゲイパレードもなかなかおもしろかった。
 日本の花火より全然ショボいと聞いていたが、そんなに違いは感じなかった。
 ゲイパレードは、この人たちが踊るために音楽が存在するんだろう、と思うほど楽しげだった(コンドーム配るって話を聞いてたけどホントですか?手に入らなかったけど)。
 バンクーバーっていい町なんだなと改めて思った(バンクーバーを去っていった人たちも結構同じこと思ってるみたい)。
 過ごしやすい町と言われる理由が何となくわかった(冬の時期の連日の雨はちょっとイヤだけど)。
 居心地のよさと退屈さは紙一重で、バンクーバーと恋愛は一緒だなと思った。

 あ、そういえばもう一つ書きたい話が。。。

 まあ、書き始めると止まらないので今回はこのへんで。
 あんまり長い文章だと読んでもらえなくなる。

 あ、一番大事な報告は、ウィスラービレッジのブレンズでワイヤレスのネットが拾えることがわかったので、インターネットに不自由することもなさそうです、ということです。
 多分今回一番言いたいことはこのことに違いない。
 ホテルから歩いて10分〜15分くらい。
 バスに乗ったら5分くらい。
 ちなみにバスは無料で乗れる。
 バス待ってるより歩いたほうが早いじゃん、ということで結局歩く羽目になるんだけど、森の中を歩くのも結構気持ちのいいものです。
 もうすでにそれも飽きたけど。
posted by da-i at 10:53| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

何をするか、誰とするか。

 
 私がウィスラーにいる間に、またたくさんの人がバンクーバーを去っていった。

 出会いの分だけ別れがある、ということですが、(出会いの数)=(別れの数)と考えてしまうと、(出会いの数)−(別れの数)=0 になってしまうのでこれは違う。

 出会いと別れを繰り返して、お互いに何かを得ることができるので、正確には、(出会いの数)−(別れの数)= α>0 ということになる。

 このα>0を大きくするためには、どんどん出会ってどんどん別れなければいけない。

 なので、出会いも別れも大歓迎です。

 


 そして、今週もよく働いた。

 体力勝負の仕事なので、もう腕に筋肉がつき始めた。

 仕事というよりもジムに行っているような感じです。

 お金をもらって体が鍛えれるすばらしい仕事です。

 「仕事に行ってくる」ではなく、「エクササイズに行ってくる」と言うようにしている。

 そのほうが正確で、何より楽しい。

 

 この前、FourSeasonsのスタッフトレーニングを受けた。

 内容は、会社概要だったり、ホテル内をまわってどこに何があるかの説明だったり、各部署ごとのマネージャーの概要説明だったり、もりだくさんで1日がかりのオリエンテーションだった。

 スタッフ同士の自己紹介やら、グループごとに分かれてのクイズゲームやら、これはステップの授業か、と錯覚を起こしそうになった。

 一応このホテルの中で、1番良い部屋も見せてもらえた。

 扉を開けると、さらに扉が3つあって、その3つの部屋がすべて中でつながっている。

 ビジネスミーティングもできて、仏壇まである。

 時期にもよるが、1番高い価格で、1泊$6000らしい。


 確かにいい部屋だった。

 ラグジュアリーを絵に描いたような、ラグジュアリーを辞書で調べたらどんな言葉で表現するよりも、この部屋を見せたほうが早い、というような部屋でした。

 しかし、この部屋に泊まりたいか、と聞かれても、別に見るだけでいいです、と私は答えてしまうかもしれない。

 今私がこの部屋に泊まっても、確実に虚しさしか感じないような気がした。

 泊まっている間も虚しいだろうし、部屋をあとにするときはもっと虚しくなるだろうと思った。

 多分その理由は、どんな部屋に泊まるかが大事なのではなくて、何の目的でこの部屋に泊まるのかが大事で、最も一番大事なのは誰と泊まるかだ、と思ったからです。

 この部屋に見合う何かや誰かを私はまだ持っていない。

 逆に、そういう何かや誰かを持っている人にとっては、部屋の豪華さは必要ないんじゃないかとも思った。

 そういう人は1ルームであろうが、4畳半であろうが充実した時間が送れると思う。

 ラグジュアリーとは、そんな何かや誰かを埋め合わせるための商品なのではないかと気付いてしまった。

 セレブという言葉が死んでしまったように、ラグジュアリーという言葉もすでに死んでいるのかもしれない。



 そんなことを考えながら、洗い物で流れてきた楕円形の皿にチョコレートで書かれた、少し溶けかかった「Happy Birthday」という文字を、いつものようにジェット噴射で思い切り吹き飛ばした。



* もう1つ書きたい話があるのでそれはまた今度。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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2006年07月29日

バンクーバーを離れて

 日曜にバンクーバーを出発し、月曜から「Whistler」の「FourSeasons」で働き始めました。

 さて、何から書き始めようかと考えれば考えるほど、書くのが億劫になるくらい書きたいことがたくさんありすぎて、途方に暮れてしまいます。


 ちなみに、昨日は深夜4時まで働いていました。

 この時点で、既にとてもおもしろい状況になっている。

 何やら大きな宴会があったらしい。

 基本の時給は13ドルだが深夜の時給は20ドルになるらしい。

 昨日だけで150ドル以上稼いでいる。

 留学するために頑張ってバイトしてるんだ、などと言っている日本にいるフリーターに申し訳ない気分になる。

 
 住んでいるところは、フォーシーズンズの2階の従業員部屋です。

 要はホテル暮らしです。

 扉を開けると部屋が2つに分かれていて、1部屋に2人か3人で住んでいる。

 アコモデーションに布団がなくて。。。という悲しい話をどこかで聞いたことがあるが、布団どころか大きなベッドに枕も2つ用意されている。

 盗まれないように南京錠を買ってもっていかなければいけない、というような話も聞いたことがありますが、その心配もなく、ほとんどの扉は従業員用のIDカードでピピッとやらなければ開かないし、個人用のロッカーなどにもすべて鍵がついている。

 至れり尽くせりである。

 今手元にIDカードが2枚と、鍵が5つあるが、もうどの鍵がどれなのかよくわからない。

 
 というか、本当は人物紹介的なことを書こうと思っていたことを今思い出した。

 このホテルで働いている人は本当にいい人が多くて、みんな真面目です。

 何十人という人に今週だけで出会いましたが、みんなすごい。

 日本人の勤勉さは、フォーシーズンズに受け継がれている。

 
 ただ、一番肝心な英語の勉強という点では、物足りないのかもしれない。

 まあそれもやり方しだいでしょう。

 
 そして今日はデイオフだった。

 実は今バンクーバーにいます。

 髪を切るためです。

 マイケルJフォックス似のホテルマネージャーに会うたびに髪が長いと言われる。

 出発前にバサッと切ったが、まだ不十分らしい。

 また無理を言って出張美容師のChikaさんに時間を作ってもらってしまった。

 彼女は1日にメールが15件くらい来る超売れっ子美容師なので、予約を取るのも難しい人ですが、本当によくしてくれる。

 そして腕も確かだ。

 ちなみに男性12ドル、女性15ドルと値段も良心的ですばらしいので、よかったら紹介します。

 
 と、ここまで書いて、本当に書きたいことはこんなことではない、という気分になりました。

 あ、そういえばキッチンにいたマイクというカナディアンにフリーペーパーをもらったのを思い出した。

 彼はウィスラーで発行されているフリーペーパー「Pique」に記事を書いたらしい。

 タイトルは「AfterTheBomb」で、日本の広島の原爆後のトラベル記事です。

 
 彼だけでなく、日本に住んだことのある人はこのホテルにはたくさんいて、住んだことがあるレベルではなく、簡単な日本語はマスターしている人も少なからずいて、日本語で私に話しかけてくる。


 ちなみにこのホテルに日本人は私以外に2人いる。

 一人はフロントの細井さんという人で、もう一人は同じデパートメントのSatoshiさんという人だ。

 細井さんは、ホスピタリティを専攻して学校で勉強してこのホテルで働いている。

 Satoshiさんはもう20年以上ウィスラーに住んでいて、ウィスラーのフォーシーズンズ創業前からここで働いているらしい。

 「オレ、ウィスラーに家3つ持ってるから」と言われて、困ったらこの人の家に行こう、と単純に思ってしまった。

 どうしたら英語に早く慣れますか、と聞いたら、まずは耳だ、とどこかで聞いたことのあることを言われた。

 やはり耳か。

 そういえば美和さん、ホームページにリンク貼っていただいてありがとうございます。

 
 また話が飛んだ。

 まあ今回はこのくらいで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
posted by da-i at 19:25| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

私の短所 / イングリッシュベイ

 私の短所は、人の気持ちをわかろうとしないことと、自分の物差しで人の気持ちを考えるところだ、と言われてまさにその通りだったので納得した。

 なかなか他人の短所をわざわざ教えてくれる人はいない。

 相手の悪いところを指摘するのは、相手を傷付けてしまうかもしれないし、相手との関係を悪化させてしまうかもしれないし、とてもリスクの大きい行為です。

 私は全く傷付いていないし、関係を悪化させる気もないし、とてもありがたい気持ちでいっぱいです。

 そういうことを言ってくれる友達は大事にしたいし、逆に私のことを大事にしてくれている証拠なので感謝したい。


 昼間はイングリッシュベイで柄にもなく泳いでしまった。

 しかし、トランクス一枚で泳ぐのはお勧めできない。

 海から戻ってくる私は完全に風呂上りのオヤジだった。

 ジーパンをはいたまま泳ぐことをお勧めする。

 ジーパンをはいたままでも泳げるということは突然の水難事故の際、死ぬ確率が減ることを意味する。

 人生においての最優先事項の1つ目は、「死なないこと」だ。


 何にせよ、今の時期のイングリッシュベイは本当に気持ちがいい。
 
 肩まで水につかって、360度回転してみてほしい。

 そこから見える景色がバンクーバーである。

 ダウンタウンは本当の意味でバンクーバーではないことがわかる。

 これを体験しないでバンクーバーを去ってはいけない。

 あなたはきっと後悔する。

 いや、気持ちがいいことさえも知らずに去っていくので後悔さえもできない。

 本当に楽しいことや、本当に気持ちのいいことは、とことん追求しなければ手に入らない。

 人生における最優先事項の2つ目は、「楽しむこと」だ。


 そして、それらを知らずに人生を終わらせる人と、とことん考えて、悩んで、追求して、手に入れる人と2種類の人間がいる。

 考えたり、悩んだり、追求するためには、大前提として、考えるための何か、悩むための何か、追求するための何か、を「知ること」から始まる。

 「無知」は「快楽」の反意語である。

 何も知らない人間は、当然快楽も知らないし、快楽とは程遠い世界で生きなければならない。

 人生における最優先事項の3つ目は、「世界を知ること」である。

 今の時期に、本当のバンクーバーを知れる数少ない場所の一つが、イングリッシュベイなのだ。

 

 

 
 

 

 



 
posted by da-i at 18:44| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

あくまで自分のペースで動く人と、それに共感する私。

 今日は一本の電話で一日が始まりました。

 最初の電話は朝9時30分。

 知らない番号。

 寝起きだったので放っておく。

 そろそろ起きるかとシャワーを浴びて、kefさん今日の朝ご飯は何を食べましょうか、と話しているときにまた同じ番号で電話が鳴る。

 時間は10時20分。

 しょうがないので電話に出る。

 「スコットだ。元気か?」と言われる。

 「元気だ。」と答える私。

 「ところでお前どこに住んでるんだ?」と聞かれる。

 「グランビルとデイビーのあたりだ。」と答える。

 「ジョブインタビューに行くから準備しろ。」と言われる。

 「は?」と私。

 「5分後にお前の家に行く。」と言われる。

 「。。。OK」と答える。


 そして5分後、また電話が鳴る。

 もちろんスコットである。

 「ブレンズの前に着いた。」と言われる。

 「すぐ行くから待て。」と私。

 kefさんの焼いてくれた目玉焼きが無駄になる。

 
 そして外に出て、ブレンズの前をうろうろしていると「D-A-I---!!」と交差点の向こうで叫ばれる。

 満面の笑みで車から手を振るスコット。

 車に乗り込む私。

 一枚の紙を渡される。

 グレハンのチケットである。

 「11時にウィスラー行きのバスに乗れ。」とスコット。

 「。。。OK」と私。

 「ジョブインタビューで大事なことは何か」と聞いてみる私。

 「笑顔と熱意だ。」とあくまで根性論のスコット。

 グレハンのバス停に着く。

 「よし、行って来い。明日学校に顔出せよ。」とスコット。

 「わかった。とにかく全力を尽くすよ。」と私。

 そしてバスに乗り込む。


 そんなわけでジョブインタビューにウィスラーまで行ってきました。

 多少強引なスコットのやり方が好きではない人もいるのかもしれませんが、私は大好きです。

 それは彼と私の誕生日が一緒だからかもしれません。

 実際、営業マン時代、私もそんな感じでお客さん振り回してました。

 何か波長が合う気がする。

 そのスピード感は素晴らしい。

 やはりやり手は違う。


 

 

 

 

 

 

 

 

 
posted by da-i at 19:31| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月18日

コーヒー1杯の真実

 先日、とある女性と朝まで飲み明かした。

 「とある」といってもただの友達で、「飲み明かす」といっても私はお酒が好きではないので2人してブレンズで朝までコーヒーだったところが情けないのですが、いろいろ学ぶことがありました。

 
 「私は日本の田舎には住めない。あかの他人なのにズカズカと私のテリトリーに入ってきて、無茶苦茶に荒らして去って行く神経が耐えられない。」

 というようなことを彼女は言っていました。

 日本の郊外と、海外の郊外は明らかに違う。

 海外の郊外に住みたいという人はたくさんいるが、日本の郊外に積極的に住みたいという人は少ない。

 日本の郊外というと、どの方角を見ても大きな中古車販売店かパチンコ屋が必ず視界に入る、という寂しいイメージですが、「荒らして去って行く」というのはどういうことだろうか。

 要するに、一方的なコミュニケーションしかできないということじゃないか、と私は言いました。

 ある程度わかり合えている仲間内のコミュニケーションは得意だが、外部の人間とコミュニケーションをとることに慣れていない。

 それは狭い人生なのかもしれないです。


 「わからなーい、と可愛く言って男性社員にうまく助けてもらいながら仕事をする女性がいて、私はそういうのは好きじゃないけど、男からしたらそういう女性は可愛く映るものだし、賢いかもしれない。できればそうしたほうがいいのかもしれない。」

 と彼女は言っていました。

 わからなーいと言って何もできないような女のまわりに集まるような男はダメな男が多いから全く問題はない。ダメな女はダメな男とくっつけばいいし、イイ女はイイ男とくっつくはずだから放っておけばいい、と私は言いました。


 「留学する前、会社に勤めていたとき、そこの男性社員はいい大学を出たいわゆるエリートが多いんだけど、彼らは一様に話が面白くなくて、話すことといえば、社内のゴシップかテレビの話で、まったく魅力がなくて、可哀相に思った。」

 と彼女は言っていました。

 いい大学も出ていないし、話も面白くない私はまずいなと思いました。

 「いろんな人に会ったりして、いろんな経験をつんできたかどうかが魅力につながる」

 と彼女は言っていました。

 待機パーソンはそうじゃない人に比べて絶対的に出会いも経験も足りない。

 それは魅力的ではない、ということを意味する。


 「私はそんなに音楽を聴かない」

 と彼女は言っていました。

 先日友人のホームステイ宅でバーベキューをご馳走になりましたが、食べ終わった後、彼らはベランダでディスコ系の音楽をかけ踊っていた。

 そういうときに必要な音楽と、普段生活するときに必要な音楽は多分違う。

 音楽もなしに集団が踊るのは何か不自然だが、音楽がかかっているからといってHMVで踊り狂っていたら注意される。

 日常生活を送るにあたって、本当に必要な音楽なんてないのかもしれない。

 例えば、音楽家・坂本龍一は普段音楽を全く聴かないらしい。

 どこにいくのにもイヤホンが耳についている人がいますが、おかしいんじゃないか、信じられない、と彼は言っている。

 i-podがこれだけ普及している世の中はおかしいのかもしれない。

 よく考えたら、私の思う魅力的な人は結構な確率でi-podなんて持っていない。

 必要とするものが根本的に違うのかもしれない。

 手軽に手に入らないものを必要とする人は手軽に手に入るものを必要としない。

 
 そういう話をしながら夜も明けて、少し明るくなってきた頃、一人のホームレスが店内に入ってきて私たちの向かいのソファで眠り始めた。

 彼らは、手軽に手に入るものも、手軽に手に入らないものも、何も必要としていない。

 住むところさえも必要としていない。

 必要なのはわずかな小銭だけだ。

 そんな彼らは誰からも必要とされない。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
posted by da-i at 18:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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